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TAKIZAWA NARUMI インタビュー第二部 服作り編

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クリエイターインタビュー第二回 TAKIZAWA NARUMI その1のつづき


ccplus
文化服装学院は、どのコースに進んだのですか?


TAKIZAWA
大学を辞めて、入学願書を取り寄せ、付属のパンフレットを読んで初めてアパレルの仕組みを知りました。
デザイナーという仕事は知っていましたが、パターンとかニットとかテキスタイル等々、ほかにも色々あるわけです。

服飾の勉強をするとは言ったものの、まったく何も知らないので、パンフレットを読みながら、進路を考えてみました。

それで、アパレル技術科に決めました。読んで字のごとくな科です。
理由としては、服ってどういうふうに『服』になっていくのか知りたかったからです。

構造を理解して構築的な服を、とかそこまで難しい解釈で選んだわけではないですよ。もっと柔らかい感じです。

デザインしたとして、そんなところに袖が付いていたら着れないじゃない、といわれたらデザイン以前の問題でしょう。
だからまず、どういうふうに服になるのか位は知っておかないと。

デザインはその後で考える、ということで技術を選びました。

ただ最近こういう話をすると、着れる服というのがこのブランドの〜、となるのには少々戸惑いますね。
理科系の大学出身だからかな。


ccplus
まず、服作りを勉強したのですね。
授業はどうでした?



TAKIZAWA
一年生のときは基礎科といって、服飾の基礎を学ぶ科でした。
二年生になるときに、自分の専攻を選ぶというカリキュラム。


入学当初、あまり興味が湧かない授業に20分くらい遅刻したんです。〜論みたいな授業。基礎科だからそういうのが多い。
たしか、始業のチャイムから15分までが遅刻でそれ以降は欠席だと先生から説明をされた記憶があったので、
どうせ欠席扱いになるんだし、ぼくは技術を学ぶためにこの学校に入ったのだからと、階段に座ってなにか作業をやっていました。

そこにたまたま担任の先生が通りかかって「なにやってるの(驚)、教室に入りなさい」と怒られました。
ぼくは素直に「どうせ欠席だから、課題やっていたんです」と答えたらますます怒られました。

それ以来、担任の先生は教室でぼくの声が聞こえると安心したそうです。
思えばそんなところから先生のぼくに対する扱いが形成されていった様な気がします。


文化服装学院は年間を通してたくさん課題を提出しなければならないのです。

悩みながら、デザインに精一杯コンセプトを詰め込んで作図とパターンを引くのですが、
実際に製作に入る前に、先生のチェックがあります。
そこでデザイン訂正をもとめられることがしばしば。
ぼくはいつもそれで先生と口論みたいな話し合いになるのです。

まぁ内容としてはパンツの股上が浅すぎるとか、そこにはステッチを入れなさいとか、
一年生には難しいからその仕立てはだめです等、いろいろ。

「なんでその仕様じゃなければいけないんですか?」
「デザイン自体に訂正って、この学校では何を学んだらいいんですか?」と食い下がります。
すると「基礎を学ぶカリキュラムだから、そうして下さい」と言われました。それも正論ではあるけれども‥‥

最後には「逆らうな」ピシャリ。とやられて終了です。
そこまで行ってから対応策を考えるのが常でした。

1クラス60人学級の面倒をみなければならない先生を本当によく困らせていましたね。

たとえ自由にデザインしたとしても、好きなデザイナーみたいなドラマチックなデザインにならないのに、
カリキュラムの範囲内で表現して下さいなんて、ハードルが高かったです。

先生にとっては優等生タイプの学生ではなかったですが、服が出来上がるとよく褒めてくれたので、
可愛い生徒だったのでは?と思っていますよ。

人として口論になったことは一度もありませんでしたから。


ccplus
文化服装学院といえば、『文化式』の作り方があると、卒業生から聞いたのですが、どういう感じなのでしょう??


TAKIZAWA
『文化式』というかどうかはわかりませんが、作図の書き方として
「このダーツは〜センチ以内が自然です」、「袖の曲線はこの直線の中間点から大体1センチ下を通って滑らかに引く」
というような、近似値を使う考え方でしたね。数多の先人達の服をお手本にして。

ぼくはもともと理科系ですから、図形として考えると疑問に思う事がいくつもありました。

計測した寸法に基づいて、滑らかで綺麗な線が引けたと思っても、教科書のその〜センチになかなかならない。
場所によっては、到底なり得ない。

美しい立体にする為の作図なのか、その近似値に合わせる為の作図なのか。
理解に苦しむので、それについてまた先生と速球のキャッチボールです。

一回聞いて「なるほどね」と納得出来るような考え方ではなかったです。古典的ですし。

作図について何もわかっていないうちに拙速に詰め込もうとすると、「わからない、楽しくない」となるでしょう。
実際に早い段階で学校を辞めてしまう人も結構いますから。


ccplus
あ、でも、近似値っていうところが大事なんですよね。
服作りって、結局のところ『辻褄合わせ』なので、ある部分をきちんとやってしまうと、ほかの辻褄が合わなくなるので、
美しい立体にならないわけですよね?


TAKIZAWA
近似値という様式は、作図をスムーズに量産する為のテクニックだと思います。

オートクチュールにはない考え方ですね。オートクチュールはドレーピングの技術とセンスが要。数値は結果論ですから。

テーラーにも囲み製図という近似値みたいな作図があります。
ここの距離はチェスト寸の1/6+ゆとり分、そのポイントを基準に長方形をかいて、ダーツ分量は
シルエットによって調整する、みたいな、計測値に基づいた長方形の囲みの中に線を引く方法です。

そこにマイスター独自の、解剖学や工学が組み込まれることによって、近似値というよりは
もはや黄金律というに等しい。


『文化式』というのはこのような様々な手法の文化服装的解釈といったところでしょうか。
なので各学校、会社、個人で違った方法が編み出されるのでしょう。

このような方程式に当てはめれば服は出来上がります。ですがどうしても限界もあります。
ccplusさんのおっしゃる『辻褄合わせ」作業はここから始まるといったところでしょうか。

あくまで美しい立体の為の辻褄合わせというのならば、技術として理解できます。
ですが、過程があいまいなまま完成までもっていくという意味になってしまうのならば、それはぼくの美意識にはありません。

服は一の位の数字が5から7に変わっていたとしても服になります。
それ位あいまいなものだからこそ、ぼくは過程を大切にしたいんです。
たまたま、偶然、美しい服が出来上がった、とは思いたくないですから。


学校教育では方程式を教えがちです。大事なのはその方程式が出来上がる過程なのに。
そこを丁寧に教えないと深く理解できません。応用も出来ないでしょう。

方程式は便利なので、必要ならば使えばいいと思いますが、
簡単に答えを導き出せるのと、理解するということはまったく別の話です。
考える、ということが大切。その練習をするのが学校なのではと思います。

用意された答えを提出するということを評価するのではなく、どんな服を想像したか、そしてそれを立体にするために
どんなことを考えたかを評価してあげたらいいのに。



ccplus
ああ、なるほど。美しい立体のための近似値なのではなく、あくまでもやり方なのですね?

日本は用意された答えを答えられる人がエリートとして出世していきますからね。
そうじゃない人は排除されていきますから。
これからもそういう評価は出来ないんじゃないですかね??
文化の場合でいえば、結局、文化式が正しいっていう風に体現出来る人しか先生になれないわけですから。

それは、あらゆる分野において言えることなんですけれども。



TAKIZAWA
ぼくが先生なら楽しい授業になるでしょう。想像は自由。チェックは厳しい。
技術が足りていなくとも、気分のいい服は作れます。
そのほんの少しの違いを教えましょう。



ccplus
そういう先生が居ると授業は楽しいですよね。
服作りって、本当は色々なアプローチがありますからね。
もっと色々なものが作れるはずです。

『文化式』っていうのは、フランス料理でいうところの、クラッシックなフランス料理のレシピということでしょうか。

もう面倒くさくて、本国では誰もやらなくなったような、クラッシックなレシピが生きているのかもしれません。


僕も色々なデザイナーと話をしていて段々分かってきたのですが、学校によって全然服の作り方が違いますよね??
素人の時は、そんなこと考えてみたことも無かったのですが。。

フランスのサンディカにはサンディカの、イギリスのセントマーティンにはセントマーティンの、
ベルギーのアントワープアカデミーにはアントワープアカデミーの、それぞれのやり方があって、
全然手法が違うことに気付きました。

その辺は、色々な人へのインタビューで明らかにしていきたいと思ってます。

文化を卒業してから、神戸のファッションコンクールで特選とってノッティンガム芸術大学に留学した吉田直輝くんが、向こうの服作りを見て「なんなんだ、この服作りは??こんなの服じゃないよ、
何をしにイギリスまで来たんだ?と思った」と言ってました。

「人間に布を垂らして適当にカットしていくと、なんとなく服が出来ちゃって、それを綺麗な白人のお姉さんが着ると
綺麗に見えちゃう、なんか悔しいと。
俺、こんなにちゃんと服作れるのに」、って。

でも向こうの作り方って、確かに綺麗だし、それはそれで合理的なんですよね。

ただ文化式のちゃんとした服の作り方にも利点はあって、それは服の造形とパターンを考えながら服作りすることが
出来るってことなんじゃないかと思います。

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TAKIZAWA
利点はあると思います。思考が繊細で論理的な日本人には合っています。

そもそも布は平面です。それを体の曲線に美しく沿わせて立体にするわけです。

作図やパターンの段階で、立体を想像しながら平面的に考える、高度ですが理にかなっていますね。

どんな方法であっても、やはり手段の一つです。
ぼくだったら、西洋式に人台に布を垂らしてカットもするし、解析する為に数学や工学も使います。
スパイスを効かせる為には音楽や美術も導入します。

それらすべてに理があり、デザインのためになにが必要か、各々で選択するのです。


ccplus
それで良いと思います。
そして段々、そういう各国のやり方の枠が崩れかかっているのかなと思うことはあります。

今、欧州のブランドで面白いと思う服を作っているところって、日本人のデザイナー・パタンナーが
入っているところがすごく多いのです。

DRIES VAN NOTENとか ANN DEMUL MEESTERもそうだし、 HAIDER ACKERMANNとかもそうです。

パターン力の応用みたいな分野は、日本人の力が大きいですよね。

実際、アントワープのモードミュージアム一階の書店には、文化出版局のパターン本の英語版が平積みにして
置いてあって、この本が欧州でどういう役割をはたすのか?興味津々です。

滝沢さんは、どういう服が作りたいのですか?

なにを目指しているのですか?



TAKIZAWA
その質問には答えなくてもいいように、ひっそりやってきたわけですが、、、、

服を見た人に評価を委ねようと思っていたのですが、、、、

実際あまり具体的に考えていないのです。必要もありませんでしたし。ご容赦ください。

インタビューでよくわかります。ぼくはカテゴライズするのが苦手なんだなということが。
カテゴリーの枠が壁になってしまう気持ち。

これから先の話をする、ということは可能性の話のイメージです。
可能性を限定してしまうのはつまらないでしょう。
ぼくは無責任にこのように考えているわけです。

ですから、かわりにこのブランドの現在について少し話をしましょう。

ブランドを始めて今回で11シーズンとなりました。
毎シーズン自称傑作な服です。。でないと見に来てくれる方に申し訳ないでしょう。

過去のサンプルを見ると、なにをすればいいのか瞬間的に教えてくれます。
過去の自分からのメッセージ。 「続ける」ということの感動です。

前のあの服がいい、と言われると複雑な気分。いまならもっと良くできると絶対言います。

「いままでで一番好き」といわれて素直に嬉しい。気に入ってもらえるというのは素敵なことですよ。

11シーズンは長いようで、ぼくには短く感じますが、この間にたくさんの知識を拾いあつめました。
まだ蓄える余地はあるかと思いますが、服を一通り理解するには充分な時間。

これからはそれを一つずつ捨てて行く作業になります。
せっかく集めたものを捨てるというのは悩みをともなうでしょうけれど。

全部捨て去った先に、このブランドらしい何かがあるのかどうか。
行けばわかる。
いまどこにいるのかは、ぜひ袖を通して想像して欲しい。

服は着るものですから、袖を通さないと可哀想です。
着てもらえない服は、どこかさみしい。

そういう服を世に産み出さないというのもデザイナーの職責でしょう。


その3につづきます

TAKIZAWA NARUMI
http://temp.takizawa-narumicom.officelive.com/default.aspx


クリエイターインタビュー第二回 TAKIZAWA NARUMI その1


以下クリエイターインタビューシリーズ


クリエイター・インタビュー第一回 DAN TOMIMATSU 富松暖

DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編

DAN TOMIMATSU インタビュー 第三部 帰国編
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by guild-01 | 2012-04-14 16:55 | TAKIZAWA NARUMI | Comments(0)