カテゴリ:FASHIONの本質( 53 )

安い服を買って節約出来るお金はどれくらい??

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いつの頃からだろうか?
不景気だから使うお金を削減するのに、まず、着るものを節約しよう。
みたいな事になったのは。

そう、あれは、サブプライムローンの破綻あたりからだ。


では、なぜ着るものを節約しようという事になったのか??考えてみたい。


というのも、同じ頃から、エコカー買いましょう。エコ家電買いましょうというキャンペーンが始まったのだ。



前に書いたように、日本の景気が悪くなったのは、エコカー、エコ家電キャンペーンで一般の人達が大量の金を使ったため、他の業種に金が回らなくなった為だ。

そして、それらの輸出企業の利益は、円高でぶっ飛ばされたのだ。



つまり、我々の税金で行われた景気対策は、我々に還元されずに海外に流出したという事だ。


今度は、それを理由にTPP(環太平洋パートナーシップ協定)で自由貿易圏を作るとか言う。
それで全部乗っ取られるわけです。



では、服を節約すると、家計は、どれくらい助かるのか?計算してみましょう。


まず、2万円で買っていたカッコイイパンツを2000円の格安パンツに変更した場合です。

2万円のカッコイイパンツ5年着ると、1年あたり、4000円。月々340円です。

これを2000円のパンツに変更します。
5年は使えないと思いますので、2着買いましょう。2着で4000円。

これは、1年あたり800円、月々68円です。
安いですね〜

でも、ちょっと待ってください。

節約出来たのはいくらですか?
一ヶ月=340-68=272円です。


実は、2万円のパンツを2000円のパンツにしても、月々、272円しか節約出来なかったのです。

これは、ひと月に、スターバックスで飲む1杯のコーヒーを止めて、家でコーヒー飲む程度の節約でしかなかったのです。


では、もっと大物で見てみましょうか。
10年間使える10万円のコート、あるいは、5年使える5万円のコート。

これは、共に一年あたり1万円で、月々840円です。
(実は、10年で10万円と、5年で5万円は、月々に直すと値段が一緒だということに気付きます。ちなみにケータイ電話は、買う時に0円とかいって騙されますが、なんだかんだ月々6000円くらい払わされて、気がつくと年間7〜8万円くらい払わされているわけです。10年で80万 余談)


では、これを5000円のコートに変えてみましょう。

5年間で5000円のコート2着。1万円です。
5年で1万円は、1年で2000円。月々、167円です。

840-167= 673円

これも、月々673円の節約でしかありません。
これも実は、ひと月に1回、800円のランチ止めて、弁当持っていく程度の節約に過ぎなかったのです。


そして、注目していただきたいのは、スターバックスで飲む1杯のコーヒーを止めて家でコーヒー飲むのも、800円のランチ一回止めて弁当持っていくのも、自分が得る利益は変わらないという事なんですね。

ということで、全く質を変える事なく出来た(というか、800円のランチやスタバのコーヒーより美味しいもの作ることは充分可能なので、質を上げることさえ可能)範囲での節約でしかなかったという事が分るかと思います。


一方、10万円の補助を受けて200万のエコカー買うと、トータル250万円はかかるわけです。
しかも、駐車場代、高速代、エネルギー代、保険、税金その他もろもろで、5年間で総額400万くらいかかりますね。

1年間で80万円。1ヶ月あたり66,700円です。
月々、272円節約したり、673円節約しても、どうにかなる金額では無いことがお分かりいただけるかと思います。

大体、272円とか673円とか節約しても1時間か2時間の駐車場代でパーです。
全然節約になってません。


そして、こうやってエコカー買った人達は、お金が無いので、地方にでかけてもコンビニでおにぎりを買ったりして、全く地元にお金を落としていかないという笑えない現象も起きました。



つまり、何が言いたいのかというと、エコカーを200万とか250万出して買う人は、それなりの資金を持っているべきであり、洋服をユニクロにしたところで、出せるものでは無いという事です。


そして、エコカー買うと、原子力発電で放射能やプルトニウムが増えて危険が増します。
これが現実です。よく考えましょう。


*注意 (この文章は311の前に書かれています。現在はちょっと違います。

エコカー EVというのは、原子力発電が1日中発電していなければならないので、余った夜間の余剰電力を電気自動車の発電に使うために作られていたのです。

当時は、そんな基本的なことすら伏せられていて、エコカーやオール電化の省エネ住宅とか、わけのわからない宣伝が沢山ありました。)



車を買うのは、エコだからではなく、車が買いたいのなら買ってください。
ただし、環境負荷も経済負荷も、共にものすごく大きいです。エコカー減税なんて足しになりません。
でも、それでよければ、車買えばいいんです。

車が無くては生きていけないようなところに住んでいる人も居るでしょうし。


当ブログは、車というものが持つ社会的価値や、日本の経済発展に貢献した側面を否定しているわけでは全然ありません。むしろ、それを理解した文化的な活動をすべきだと思っています。


イタリアでは、古い貴重な車への免税措置がありますし、ミッレミリアというクラシックカーのイベントは、国民的なお祭りです。


なぜ、日本だけが、過去を振り返ることなく、エコエコばかり叫ぶのか?疑問に思うということです。


そういうエコカー云々がメーカーや労働組合のロビー活動だと言ってるだけです。

そして、それらが人々の雇用や生活の向上に繋がっているならともかく、我々に還元されずに海外に流出し、今度はそれを理由にTPP(環太平洋パートナーシップ協定)で自由貿易圏を作るとか言う。
それで全部乗っ取られたら目も当てられないと言ってるだけです。。



もっと文化としての車を守っていかないと、産業自体が無くなってしまうかもしれません。




話が逸れましたが、2万円のパンツ買うの止めて2000円のパンツにする。あるいは、5万円、10万円のコート止めて5000円のコートにする。

これがどういう事かというと、国内や他の先進国で生産することが完全に不可能になるという事なんです。

事実、キリスト教原理主義団体のお友達、アムウェイ野田聖子が消費者担当大臣をしていた地元の岐阜の生地産業は、彼女が大臣だった時に、ほぼ崩壊しました。


そういう事実を知っていただきたいと思っています。


ちなみに、管理人が自分の衣服にかけている金額は、月々8000円くらい(当店の販売価格ベースで)です。

これで、キャロルクリスチャンポエルやコスチュームナショナルのコートやら、ヴィクター&ロルフのパンツやら、普通に着てますし、ハンドメイドのレザーの靴も履いてますよ。

ストールはシルク×カシミヤだったりしますし。

全然可能なんですよ、本当は。


着てる間中ずっと楽しめるのです。



でね、月々8000円というと、チェーンの居酒屋で2回飲む程度のことなんです。

チェーンの居酒屋で2回飲むという行為は、タイあたりで加工された食べ物を暖めたものを食べ、外国人労働者に安い給料払い、社長や投資家だけが儲かって国会議員になり、TPPを推進するのに貢献するくらいのことでしょう。


そういうことを止めて、家で美味しいものを作って食べ、飲み、楽しい時間を過ごせば、その分を節約出来るどころか、もっと豊かな生活が送れるわけです。


そして、カッコイイ、素晴らしいものも身につけることが出来るわけです。

当ブログは、そういうライフスタイルを提案しています。


contemporary creation+
http://www1.parkcity.ne.jp/ccplus/

180-0004 武蔵野市吉祥寺本町2-31-2#101
Tel/Fax:0422-20-8101
open=12:30〜21:00 月+金=休 (祝日の場合は営業)

東京 吉祥寺 大正通りのセレクトショップ (メンズ+レディース)です。
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by guild-01 | 2013-07-02 18:17 | FASHIONの本質 | Comments(0)

人種と狩猟と宗教の起原と衣服

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人種と狩猟と宗教の起原と衣服


人間はなぜ服を着るようになったのか??
http://guild3.exblog.jp/20488822/
のつづき



最近、魚釣りをよくする。
筆者がやっている釣りは、渓流釣りと磯釣りなのだが、釣りをする時、自分は、気配を消している。
自分を背景の中に完全に没入させるようにしている。

これは、グレングールドが、ピアノと一体化しようとしているのと、極めてよく似ている。


自分のリズムや呼吸、その他の波動みたいなものを背景と一致させる。
自分が身にまとっているものは、その背景になるための道具なのだ。

ここでは、服は自分の一部でありながら背景そのもである。
なので、服は背景と同一化されるものが選ばれる。

私たちがアースカラーの服が好きなのは、私たちの存在として根源的なことなのだ。


そして、背景と同一化しながら、狩猟対象と1対1のコンタクトを行うのだ。
それは、全神経が狩猟という行為に行き渡っている瞬間である。


その状況になると、ものすごく些細な事に気付くようになっている。
風の変化、天候の変化、流れの変化、本当にささやかな違いが手にとるように分ってくるようになる。

そして、そういう状況で手にした獲物に対する畏敬の念といったものが自然に芽生えてくるのだ。
その状況にする為に服がある。


これは、原始宗教の始まり、根源の部分なのではないかと思っている。

背景との同一化が進み、獲物と1対1のコンタクトが進むと、そこに原始宗教が生まれる。



旧石器時代のスクレイパーの起原というのは様々言われているが、当ブログが考えているのは、スクレイパーというのは、主に獲物の肉を削り取り、革をなめす為に使われたのだと思う。
それによって人間は、毛皮をまとって猟をした。
主な狩猟対象は、水牛の群れやヘラジカの群れなどだ。

ご存知のように、水牛(バッファロー)やヘラジカ(トナカイ)の群れというのは、極端に大きく、季節移動する。

人間がその群れを追いかけたというのは、ごく自然なことだろう。


やがて、水牛や羊などの狩猟対象と人間との同一化が進んでくると、その一部は家畜になった。
山羊や羊や牛という動物の群れの中に我々が入り込んでしまったのである。


そこでは、私達は、動物を狩猟対象ではなく共に生きていく対象ににしていった。
そして、動物も私達が被狩猟対象ではなく、自分達を保護し、導いてくれる対象と捉えるようになっていった。
ここに、家畜農業の始まりと原始ユダヤ教とキリスト教の誕生があったのではないかと感じている。

キリスト教の誕生になぜ羊が関わっているのか?
それは、私達の祖先が羊の群れと同一化した事に端を発しているのだと思う。

ウールを使った毛織物製品の誕生は、まさにこの事から始まっているのである。
私たちが、上質な服を着ることが出来るようになったのは、羊達が我々と一緒に暮らしてくれることを選択したからでもある。


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羊やヤギを家畜とした生活は、それまで住むことが出来なかった荒れ地での生活を可能にし、素晴らしい乳製品や毛織物の文化を生み出した。



しかしながら、これには良い話ばかりがあったわけではない。

すなわち、家畜化の延長線上で奴隷や植民地化が行われたからである。




私達がなぜ頭部や顎や脇や陰部に主に体毛が濃く、その他の部分が薄い(特に背面)のか?

それは、私達が、獲物の毛皮をまとった時、必然的に外に出る部分が濃くなったのだろう(というか、そうじゃない部分が薄くなったのだろう)ということ。

そして、おそらく体毛の色の違いによって、集中的に狩っていた獲物の種類が違ったであろう事が推測される。



栗毛や茶色の毛を持つ白人達は、ヘラジカやトナカイなどの鹿類、そして馬、羊、ヤギなどの系統を狩っていたのではないかという仮説が成り立つ。

そして、やはりその狩猟対象の一部が家畜になっていった。



茶色の髪の毛を持つラテン系の人々は、イノシシ=豚を家畜にした。

豚類を畑作と共に導入したのは、豚が、地面にある餌(芋など)を掘る際に勝手に地面を耕してくれるからである。

ある程度地面に栄養がある欧州の大地では、豚の家畜化によって畑作が大規模に出来るようになったのである。

その一方で森が失われていくことになるわけだが。。



砂漠のイスラム圏やユダヤ圏で豚が禁忌になっているのは、おそらく、ラテン地域のように豚を食料として導入すると、地下にある水分を含んだ大切な根菜を根こそぎ食べてしまうため、土地が豊かになるどころか、砂漠化してしまったために、禁止したのだと思う。


豚を食べると美味しいので、宗教的に禁止することによって土地の砂漠化を防いだと考えるのが合理的である。

イスラムやユダヤ圏では、羊やラクダと共に生きていく方が、遥かに人間にとって利益が大きかったのだろう。




黒人の肌がなぜ黒いのか?

それは、彼らが、毛皮を脱ぎ捨て、もう一度まとうことが必要が無い暖かい場所で暮らすことを選んだためと考えられる。
そして、泥を身にまとうようになってから時間が経ったためではないだろうか?

服を着る必要のない黒人達は、泥を身にまとったのだ。




私達東アジア系モンゴロイドの体毛が黒いのは、主要な狩猟対象が水牛の仲間だったからなのではないか?

氷河期の時代、私たちの祖先であるモンゴロイド達は、バッファローの群れを追って南北アメリカ大陸へ渡った。

一方、地球温暖化でバファローの群れからはぐれて島となった日本列島で暮らしていくことになった日本人の祖先達は、動物の狩猟とは違う道を生きることになったと考えられる。


山が多く斜面が急な日本列島では、ほ乳類を捕獲するという行為が著しく効率が悪かったのである。


一方、簡単に美味しい食物を捕獲することが可能だった。それがすなわち、魚の狩猟というわけである。
私たちの多くが魚食系なのは、おそらくこの頃からである。

バファローの存在しない日本列島において、最も効率的なタンパク源は、川に遡ってくる魚達、すなわち鮭であり、鮎であり、マス類、そしてウグイだ。

これら、豊富な魚類を捕獲することによって、日本列島では、1万年以上続く縄文時代の狩猟採集生活が営まれてきたのである。

川や湖や海で狩猟するようになった人達は、そもそも狩猟の時に毛皮が必要ではなかった。

そして、それらの選択をしていったもの達は、獲物との同一化が進まなかった。
つまり、家畜を持たなかったのだ。



たとえば鮭を狩猟していたグループを考えてみよう。
鮭を狩猟する事は極めて簡単である。
ある一定の時期、川に遡ってきた鮭を捕まえれば済むのである。
ここでは、家畜という概念は誕生しない。
むしろ、次の年も豊穣な恵みを得るために、自然を破壊しないように、自然への感謝という原始宗教のようなものが続いていったと考えられるからである。



そして、その事は、後の社会を作っていく段階において、極めて大きな意味を持っていたのではないかと考えられる。





やがて、大陸から米の栽培=水田がもたらされても、縄文文化そのものは消えなかった。


それは、水田そのものが、豊かな森と水を必要としていたためと、稲そのものではタンパク質を補うことが出来なかったという理由によるだろう。

すなわち、水田をもたらした渡来系の人たちは、水路にフナや鯉などを持ち込み、放し、それをタンパク源にすることを選んだからだ。

日本の水田は、米と共に、そこに住む、フナや鯉やタニシやザリガニ、カエル、イナゴなどをタンパク源とした完璧なシステムだったのである。


日本における家畜を伴う農業とは、鯉やフナを水路に放した水田のことだったのだ。



そして、相変わらず川には、鮭や鮎やマス類やウグイがのぼってきた。
産業革命と流通革命が起きるまでは。。




魚を狩猟する最も効率的な方法は、川をせき止めて、ある場所に魚を追い込み捕獲する方法である。

これら、川をせき止めるという行為は、産業革命による近代化が進んだのち、巨大なダム事業に発展していくのである。

日本の土建国家の芽生えは、この時に起きたのかもしれない。


流通の発達によって、身の回りの魚達を捕獲し、食べなくなった私たちは、汚染を招いてしまう。


そして、農業や工業の水利権の問題と土建国家的経営の果てに、魚達は川を遡ることが出来なくなったり、汚染されたりした。


あげくの果てに、福島第一原発事故によって、放射能汚染されてしまうという最悪の状況を生み出すことになった。


これは、私たちが、私たちが暮らしてきた生活の本質を見失い、目先の利益のみを追い求めた結果なのではないだろうか?


福島第一原発事故を契機にして、私たちの暮らしを見直さなくてはならないことは、もはや明白であると思う。

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by guild-01 | 2013-05-16 19:38 | FASHIONの本質 | Comments(0)

人間はなぜ服を着るようになったのか??

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写真はRICK OWENS パリコレデビューの時のワンピース 希少品(contemporary creation+所蔵)



『人間はなぜ服を着るようになったのか??』


寒かったから??

筆者も、最初は、寒かったから毛皮を着たのではないか?と思っていたのだが、そうすると、そもそもなぜ人間に体毛が薄いのか?という理由か分らなくなってくる。
卵が先か鶏が先かという話だ。

むしろ、10万年の氷河期と1万年の間氷期を繰り返している現実を考えると、うーんという感じだ。
もともと人間の体毛は他の猿と同じように濃かったのではないか??


そしてある時、ハタと気付いたのである。

もしかすると、人間は狩猟の為に、動物の毛皮をまとうようになっていったのではないか?ということに。


獲物を狩るという行為において、二つの難しい問題がある。
一つは、匂い。もう一つは視覚である。

被捕食者は、相手の匂いと姿で敵を感知するのだ。


獲物を効率よく狩る為には、相手に気付かれないようにしなければならない。
その最も気付かれにくいのが、獲物と同じ匂いとカタチをした生物なのである。


特に氷河期における氷上や雪上での狩猟において、それが効果を発揮したのではないかと考えられる。


人間の進化における最も大きなステップ。
それは、狩猟対象と同じ格好をするという事だった。


これは、他の生物を凌駕する進化だった。
ここに、人間という動物が誕生した大きなカギが隠されていたのではないかと思う。


人類進化における最大のキーは、火と共に、服である。
人間は、様々な動物の毛皮をまとったり、植物をまとったり、泥を塗ることによって、擬態し、様々な獲物を獲得することに成功し、様々な環境に適応する事が出来たのだ。


狩猟する、つまり生きていく事を『服を着る』という行為を通じて実現させていったからこそ、人類の進化があったという事だ。


人間は、倒した獲物の肉や内蔵を食べてから、その獲物の毛皮をまとって再びハンティングするようになった。
それを繰り返しているうちに、人間の体毛が薄くなり、皮膚が弱くなっていったのではなかったのか?


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写真はRICK OWENS パリコレデビューの時のレザーコート 希少品(contemporary creation+所蔵)


そして、その中のある種は、温暖期に暖かい海や川で、水中の獲物を穫る生活をした。
こちらも、体毛は必要が無い。
それゆえに、人間の体毛が薄くなっていったのではなかっただろうか?

という事である。


そして、人類が狩猟生活主体から農耕に移った段階で、擬態の意味が無くなっていった。
しかしながら、人間の皮膚は既に弱くなっていたので、所謂服が必要になっていったという事なのかもしれない。


『服とは、自分と似た嗜好を持つ人間を捜すための餌。」
というのも、獲物を探すということが、異性を探すという事に置き換わったと考えれば、人間が持つ根源的なファッションという行為が、擬態の中にある。という事が言えるのかもしれない。


ナルシシズムというのも又、より良く擬態出来た人が生き延びることが出来たのだと考えれば、人類にとってナルシシズム不可欠な要素を含んでいるという事が言えるのではないだろうか?


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カラバッジョ ナルキッソス 1598-99  Oil on canvas, 110 x 92 cm  ローマ国立美術館(パラッツォ・コルシーニ)


これは、私達が服を着るのは、保温や保護の為だけではなく、そもそも自分と違ったものになりきることで、生きていく事が出来たということだ。

つまり、人間には、根源的に『変身願望』があり、この『変身願望』は、人間の本質の大きな一つであるという事なのだ。


なので、人間がコスプレしたり、ドラマや舞台で誰かを演じてみたり(スパイや工作員は困るけど。。)、何かの制服に憧れたりするというのは、極めて本能的な快楽だったのだ。


そして、『魔法使いサリー』や『クリーミィーマミ』や『セーラームーン』『マドカマギカ』といった変身ものアニメというのが、子供にとって根源的な快楽なのは、この辺りに根源的な原因がありそうである。



服を作る、デザインするという事に対して、機能的にアプローチしていくと、究極は登山ウェアのようなものになっていく。
しかし、これはある種デザインの袋小路だ。(登山ウェアそのものを否定するつもりは無いけれど。。)


しかし、本質的に、私達がファッションに求めているのは、機能だけでは無い。
むしろ、機能というのは、後から付いてきたものである。


私達は、もっと本能的に、私と違う私になりたいと思っている。
これこそが、『ファッション』の一つの大きなカギなのではないだろうか?

それは、人間が人間として歩き出したと同じくらい、本質的な事なのではないだろうか。
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by guild-01 | 2013-05-14 17:24 | FASHIONの本質 | Comments(0)