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ジャクソン・ポロックと『オリジナル』についての考察

管理人も大好きなジャクソン・ポロックの生誕100周年の展覧会が、東京竹橋の国立近代美術館で開かれています。

http://pollock100.com/


是非、行ってみることをオススメします。

生誕100年 ジャクソン・ポロック展
会期
2012年2月10日(金)~2012年5月6日(日)
会場
東京国立近代美術館
〒102-8322千代田区北の丸公園3-1

さて、管理人は以前、ポロックについて書いたことがありますので、この際ですので転載しておきますので、ぜひ読んでみてください。(加筆・修正あり)

以下転載



クリエイター系の人に多いのですが、オリジナリティーにこだわる人が結構います。
がんばって自分のオリジナルなスタイルを作ろうと努力している人達です。

しかし、このように、オリジナリティーというのは、欠点を利点に変えたり、現状をなんとかしようとした結果、解決策として産まれてくる場合が多いようです。

こうして産まれたオリジナリティーの方が、がんばって産み出したオリジナリティーよりも、なんといいますか、しっくりくるような気がするのは気のせいではないと思います。
ようするに、それは必然なのですから。。

つまり、オリジナリティーというのは何らかの欠陥のあるあなたが産んだ必然かもしれないということです。


話のついでなので、ここでオリジナリティーについて考えてみたいと思います。


僕は、正直な話、『オリジナル』であるということにそれほどこだわっていません。
なぜか?というと、本来、本当にオリジナルであるのは、『自然』をおいて他には無いような気がするからです。

『自然』というのは、とてもスゴいもので、時に人はそれを『神』といったり『天』と言ったり『主』と言ったりしますが、僕は基本的に無宗派なので、それを『自然』と呼んでいます。
タオイストにとって、それは『タオ』と呼んだりしますが、名前はなんでもいいんです。


とにかく、自然の力に比べれば、人間個人の力なんてたかがしれていると考えざるを得ない。
大体、オリジナルなんていってますが、自然や他人(人もまた自然の一部です)が今まで創り上げてきたものの集積の上に、ようやく自分がやることがちょっとだけあるわけで、自分がそれに付け加えられるのはほんのちょっとしかないはずなんです。

そのほんのちょっとのことは、大事なことではあるのですが、”これだけが本当に大事なこと”だと勘違いしちゃう人がかなり存在しているような気がする。
けれども、それは単なるエゴイズムに過ぎないと思います。



先日、ジャクソンポロックの自伝映画『ポロック』を見たのですが、この映画の冒頭で、「ファック、ピカソ、何もかもやっちまいやがった。」という台詞が出てきますが、ピカソが絵画を解体するようなあらゆることをやってのけたのは、被写体を正確に写すカメラというものが普及してきて、対象をただ正確に写す仕事をそっちに取られてしまたから、当時の画家は、”違うことをしないことには仕事にならなかったから”という大前提があるのだと思うのです。

もちろん、ピカソに類いまれな才能と技量と早熟性があったから、それが成し遂げられたことは確かですが。。
もしも、あの時代にピカソが産まれていなかったならば、仮に50年早く産まれていたらものすごく巧い新古典主義の画家になっていたであろうし、50年遅く産まれていたら、「何もかもみんなやりやがって」と叫んで酒まみれになっていたかもしれません。
人生ってそんなものです。

ロートレック達のベルエポックや、その後カンディンスキーから始まる抽象画のロシアアバンギャルドなどは、当時の産業と広告の発達と密接な関係があるのが明らかです。

広告という仕事があるから、絵が描けたのです。

しかも、それは写真とは違う方法が必要でした。
そして、これらの絵画的革新が成された時期は、相対性理論や量子力学やフロイトやユングの心理学といった20世紀の科学的・哲学的な革新が行われたことと密接に関わっています。
そしてマルクス主義やナチズムが産まれていくのも同じ状況の中からなのです。


ようするに、それらは全て関連しているのです。
その中で個人がせいいっぱい努力した結果、今までとは違うものが産まれてきたわけです。

ナチスによるユダヤ人のホロコーストなどは、歴史的にものすごく『オリジナル』です。
そして、それを利用してユダヤ人科学者に原爆を開発させて、アメリカは世界最初の原爆所持し、それを投下、その結果として日本人を原爆ホロコーストし、世界の覇権を握ることに成功しました。
これも『オリジナル』です。

が、あなたはそれを”オリジナリティーがある”と評価するだろうか??



ポロックは、その後、『ドリッピング』というテクニックによって正に一世を風靡するスター画家になるのですが、それは確かにオリジナルであり、作品もスゴかったわけで、僕もそれは好きなのですが、でもやっぱりそれはそれなんですよね。

ドリッピングを発見したというのは、ポロックの絵を書くのに必要不可欠なことだったのですが、ポロックの存在理由というのはドリッピングそのものでは無いわけです。


むしろ、なぜポロックの絵があれほど熱狂的に受け入れられたのか?と問えば、もちろんスターシステムを作るためのターゲットになった、あるいは空前の好景気に湧いていたといことはあります。

ただ、その前に、なぜスターになるのが、ポロックのドリッピングでなければならなかったのか?と問えば、その前に第二次世界大戦があり、世界中がメチャクチャになったということがあります。
そのことが、ポロックも含めて当時の世界中の人々の潜在意識の中にあったことは明白です。

ポロックが行った、『偶然をコントロールする』という手法が、どうにもならない現実を見た世界中の多くの人々の潜在意識に訴えかけるものがあったのは、歴史的な必然であったような気がします。
それは当時の人々の状況とピタリと合っていたのだと思います。


そして、もう一つはジャズです。
ジャズ自体もフロイト=シュールレアリスムの文脈と関連しているのでしょう。
即興を重んじる演奏方法は、そこに既にある音そのものと、演奏者の内的な指向によって音をその場で組み立てていくものです。

コントロールしきれないようなものをコントロールする方法。
それを当時の時代の人が求めていたのは明らかであるように思われます。


ただ、ジャズが60年代以降、さしたる革新のないままにそのピークを過ぎていったことと、ポロックがドリッピング以降にさしたる革新の無いままにアルコールに溺れていったのは、無意識を即興でコントロールするだけでは、それ以上のことは望めないということのひとつの証明だったのかもしれません。

ただ、ジャズは90年代に入り、コンピューターと出逢うことで、新たな革新を成し遂げました。
それは、プログラムと即興性が出逢うことによって創り上げた、新たな世界だったのではないでしょうか??


現在、様々なものごとが袋小路に陥っているように見えます。

でも、私達は、ポロックのように酒に溺れて自殺することなく、これを乗り切っていけると、僕は信じています。

『自然』の力というのは、スゴいのです。

私達自身が『オリジナル』であり『自然』なのです。

耳を澄ませて感じること。
目を開いてみること。
そして考えること。


私達は、もっと先を切り開いて前へ進むことが可能だと思います。







生誕100年 ジャクソン・ポロック展
会期
2012年2月10日(金)~2012年5月6日(日)
会場
東京国立近代美術館
〒102-8322千代田区北の丸公園3-1

http://pollock100.com/

〔交通の案内〕
東京メトロ東西線竹橋駅 1b出口より徒歩3分
開館時間
午前10時~午後5時  (金曜日は午後8時まで)
※入館は閉館時刻の30分前まで
休館日
毎週月曜日(2012年3月19日、3月26日、4月2日、4月30日は開館)
観覧料
一般=1,500円(1,300円/1,200円)
大学生=1,200円(1,000円/900円)
高校生=800円(600円/500円)

* ※中学生以下無料
* ※カッコ内は、2011年12月10日(土)~2月9日(木)までの前売り/20人以上の団体料金
* ※2~4月の日曜日と祝日(2月11日(土)、3月20日(火)、4月30日(月))は、
高校生の観覧料が無料
* ※障害者手帳をお持ちの方と付添者1名は無料

by guild-01 | 2012-02-24 17:00 | ART