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Miho Tanaka(オーダーメイドウェディングドレス May&une)インタビュー2/3







クリエイター・インタビュー第三回 
Miho Tanaka(オーダーメイドウェディングドレス May&une)インタビュー1/3のつづき

本日は、第二部です。

オートクチュール・ウェディングドレス Miho Tanaka(May&June)インタビュー第二部





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文化服装学院には何年居たのですか?


Miho Tanaka
3年+1年(BUNKA FASSHION BUSINESS SCHOOL=現・文化ファッション大学院大学)です。


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文化の授業はどうでしたか?


Miho Tanaka
正直なところ、1年生の時は、全く面白くなかったのです。
基礎を習うのですが、高校の授業内容と同じ部分も多かったので。

文化では、生産ラインに乗せる服を作れる人を育成する学校なので、そういう部分でもオートクチュールに比較すると面白くなく、一人で放課後、好きな教授について学べるゼミに通っていました。

そして、デザインコンクールに挑戦してみたいと思うようになりました

このゼミで出逢ったのが、現在May&Juneのドレスの縫製を多く手掛けていただいてる中田さんです。
彼は、1学年年上なのですが、文化を首席で卒業してコムデギャルソンに入りという天才的な方で、その後全く交流がなかったのですが、偶然、この仕事を頼むことになりまして、大変頼りになる有り難い存在です。





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それは、良い出逢いでしたね。他にはどういうことをしていたのですか?


Miho Tanaka
課題が忙しくて、ほとんど憶えていないのですが(笑)、コンクールの服作りはずっとやっていて、これがなかなか受からずに、初めて大きな大会に受かったのが、AIR FRANCEのコンテストで、パリに行くことが出来ました。

オートクチュール協会の方が審査員ということで、国内の予選に出した状態から ドレスを解体し裏の仕様をパリの本選までに作り変える作業をしました。
なので空港に向かう車の中でも 縫っていました。
あんなにも必死の状態は 他にはないと当時は思いましたが、社会人になってからもギリギリまで作りこみたいという状況は 変わりませんでした。

やはり締切と戦い、接戦です笑
でも 必死に向かい続ける その感覚は 忘れたくないと思っています。






このコンテストで、ルーブル美術館の地下でショーを行うことが出来たのです。


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ルーブル美術館でショーが出来るというのは、素晴らしく貴重な経験ですね。

パリの印象はどうでしたか?


Miho Tanaka
パリの街について語れるほど 滞在したことはありませんが、ずっと作ってみたかった作品をコンクールで発表する夢が叶った場所 。そして今につながる人たちと出会えた場所 として強烈な印象に残っています。

そしてやはり、小学生の頃 食い入るよう見ていた世界美術全集の ダリやピカソ、ロートレックたちが 歩いた街と思うと心臓が高鳴りますね






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卒業コレクションは、何を作ったのですか?


Miho Tanaka
卒業ショーの時期に
応募していた中国主催の北京ファッションコンテストの審査を通過した為
中国での本選に向けて 3体ほど製作しておりました
テーマは“woman on the Brige”  中国大陸を流れる河をドレープで表現した白いドレスでした


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北京にも行ったのですか?


Miho Tanaka
いいえ、当時ウィルスの流行により 周りに渡航を止められました
優秀賞を頂くことができ、返送された作品を入れた箱の中にお祝いのメッセージと沢山のお菓子が詰められていました 笑





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その後、BFB(BUNKA FASHION BUSINESS SCHOOL=現・文化ファッション大学院大学)に進学したのですよね?

BFBは、アントワープ王立ファッションアカデミーのような学校を日本にも作ろうというところから始まったと聞いたのですが、印象はどうでしたか?


Miho Tanaka
はい。BFB入学後 、文化服装学院と3年間とは違い、週一でコムデギャルソンのジュンヤワタナベさんのゼミを受ける機会を与えられたり(個室にて一対一でデザインをプレゼンしていく内容) 
第一線で活躍されている方の授業が多かったり 、そういった講師の方達は、先生ではないので 、私達をデザイナーとして対等に扱ってくれる緊張感がありました 。  

今までの文化服装学院とは明らかに違う授業内容でした。

今は大学院大学となり 人数も増えたようですが 当時は二期生ということもありクリエイション科は15人程でしょうか

人数が少なかったこともあります。


それから、パリコレクション研修旅行があり、ヨウジヤマモト イッセイミヤケ アンドゥムルメステール等  一日あたり10メゾン近くのショーを見て回りました 

マルタンマルジェラ(引退前)のショーは見るより体験する 感覚にせまるものがありました。

ルーブルでも何メゾンかのショーを見て 、コンクールの際自作のドレスを 同じ場所で発表できたと思うと嬉しかったのを覚えています





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なかなか面白そうですね。
スタージェ(研修)は、どこでやっていましたか?


Miho Tanaka
ナイーマ(naiyma)とケイタマルヤマです。
ナイーマ、今、もう無いですけど。


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良いブランドでしたよね。ちょっとアンジェロ・フィグスに似た感じで


Miho Tanaka
私もアンジェロ・フィグス好きでした。


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やはり、当時のアントワープというのは、本当に面白かったなと、今でも思います。
BFBは1年間なのですか?


Miho Tanaka
本当は2年間ですが、既に7年間服飾の勉強をしていることもあり、1年で修了にして就職しました。


BFBの修了コレクションでは『黄昏』というテーマでコレクションを作りました。
モデルをアテさんという、狼と一緒に育ったという伝説的な方が引き受けてくださり、よりイメージを深める事ができました。


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思い出しました。
この時のコレクションは、他のと違って野性的でしたよね。



photo Harumi Obama
BFBの修了コレクション


就職は、どうしましたか?


Miho Tanaka
最初、一般的なアパレルも受けて受かっていたのですが、在学中からアルバイトをしていた会社があって、ここが新しいブランドを立ち上げるということで働かないか?という話があり、迷って、そちらにしました。


メンズだったのですが、やはりコムデギャルソン出身のカリスマ的な方がデザインを統括していましたし、デザイナーも気鋭の方(ヴェットモンの水野さんなど)が居て、面白そうだったのです。

ものすごく大きなスーパーマーケットのプライベートブランドの仕事だったのです。

ところが、数ヶ月して、突然、就任したばかりの有名百貨店のカリスマバイヤーだった人に、唐突にデザイチームの解散が上の方から命じられて、デザインチームが解散してしまいました。

解散する前日は、徹夜でデザインについて会議していたのですが。。


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それは、大企業の理不尽さを痛感しましたね。
それで、どうしたのですか?


Miho Tanaka
それから、デザインチームのメンバーのつてで、商社の衣料事業部での仕事とか、東京コレクションブランドでデザインをやっていたのですが、自分がやりたいタイプの仕事はないかと探していき、東京コレクションのKINOというブランドで働くことになりました。

ここで3年くらいデザインや生産管理、生地屋との交渉やショーの準備、インビテーションの作成から営業まで様々な仕事をしました。


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小さなメゾンで仕事をすると、様々なことをやらなくてはならないので、いろいろ勉強になりませんか?


Miho Tanaka
はい、アトリエの人数的には、ほとんど2人で全てをこなす流れでした。
東京コレクションの参加や、ショーを行う為 ロシア サンクトペテルブルクへ行ったり
本当に様々な経験ができたと思います。


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東京コレクションについては、どう感じましたか??


Miho Tanaka
海外のバイヤーをいかに呼ぶかで、開催時期やPRについて 全体で模索している時期でした。
海外で活躍されている日本のメゾンも東京で発表したくなるような 新しい魅力ある形態が生まれてきてほしいです。 伝統あるパリやNYと同じじゃなくとも独自に


ccplus
そうですね、もっと独自に世界に向けてアピール出来ると良いと思います。
東京コレクションも、誰に向けてアピールしていくのか?ということを、もっと真剣に考えるべき時が来ているのかなと。

ところで、この前後にGAREというブランドをやっていますよね。


Miho Tanaka
はい、AIR FRANCEのコンテストで、パリに行った時に知り合った文化の一期上の吉田さんや森さんと3人でブランドをやっていました。

たまたま資金を出してくれた方が居たのです。
吉本ばなな の『哀しい予感』という小説をイメージソースに、シャツを基本としてデザインしました。




GARE by Miho Tanaka


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この時に、恵比寿のギャラリーで、若手デザイナー達の発信の場所を運営しましたね。
その際は、大変お世話になりました。

お店をやりながらだったので、正直なところ、体力が持たず(休みが取れずに、やる気が出てこなくなり)1年しか続けることが出来なくて申訳なかったです。



Miho Tanaka
GAREの方も、森さんがニューヨークに行くということもあり、そのまま続けることが出来なくなりました。


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ニューヨークに行くと言いながら、その後アントワープから連絡があって、ドリスヴァンノッテンのデザイナーになったと聞いた時は驚きましたけど。


Miho Tanaka
そうですね、私もドリスヴァンノッテン大好きなので、働いてみたかったです。




photo guild



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それで、KINOの後は、どうしたのですか?


Miho Tanaka
その後、大手のアパレルやセレクトショップのオリジナルを作っているODMの会社のデザイナーとして働きました。

値段が安いので、コレクションブランドと比べて注文される枚数が断然多く、実感として、自分が考えたデザインが一般的に流通していくことを感じて、最初は嬉しかったのです。

電車の中で、自分がデザインした服を見かけることも増えましたし。


ただ、コレクションブランドの展示会は年間2回が標準ですが、ここでは10回程の展示会をやるのです。
展示会ごとの型数も多い事もあって 海外で買ってきた服をバラして、ちょっとだけ変えて作るピースがどうしても増えてしまいました.


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まさに、大手アパレル、ファストファッションの最前線そのものですね。



Miho Tanaka
はい。型数をこなす為 仕様やデザインの勉強になったものの、何のためにデザインしているのか、自分が何をやりたかったのか?分からなくなっていました。


その時に、たまたま、越谷総合技術高校のクラスメイト
だった友人が結婚することになり、ウェディングドレスを作って欲しいと頼まれました。


ウェディングドレスの注文を受け、その友人が一番似合うシルエットやデザインを考え、生地を選び、仮縫いをしているうちに、自分が好きだったデザインの感覚が
蘇ってきました。





式の会場の雰囲気やウェディングのルールを頭に入れ 、アクセサリーや花飾りを考えていく作業もワクワクしました 。

純粋に楽しかったのです。


最初は気づかず、この感覚なんだったろうと思いましたが、挙式入場直前は ランウェイに出る前のモデルフィッティングの時と同じ気持ちになります
会場のゲストの反応も気になり 緊張します

そして、彼女のウェディングドレス姿を見た、周りの人達や もちろん本人の表情も 何とも言えない 喜びに満ちていて 
こういうドレスの作り方って、なんて嬉しいことだろうと
思ったのです。

自分が、服のデザインをやりたかったのは、こういう風に、人に喜んでもらいたかった

からだと、この時に気付きました。

それが、ウェディングドレスをデザインしていこうと思ったきっかけになったと思います。





第三回へつづきます。










デザイナーズ・ウェディングドレスの May&June


詳しくは
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クリエイター・インタビュー第三回 
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by guild-01 | 2013-04-30 15:49 | Miho Tanaka