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ファッションの本質を探るワークショップ その3 土地が産み出すファッション 『衣服の生と死』

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写真はMARTIN MARGIELAのアーティナザルのドレス
2000年代前半、マルジェラがデザインしていた頃の稀少品です。
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ファッションの本質を探るワークショップ その2『ウールの話・ニットの話』
http://guild3.exblog.jp/21208024/
のつづきです。




竹田
「そうなんですか。場所といえば、洋服のブランド名のところにPARIS とかLONDONとかって入っているの多いですよね?他のプロダクトでは、地名が入っているものはあまり見かけないのですが、なんでなのでしょう?」


ccplus
「PARISと入っているのは、基本的にパリコレに参加してるブランドが多いんですが、もちろん売るためということもあると思いますけど、



ーーーーーー土地が産み出すファッションーーーーーーー


ファッションというのは土地と結びついていると思うんです。
パリコレにはパリコレの、ロンドンコレクションにはロンドンコレクション、ミラノやニューヨークや東京にも、それぞれ独特の空気というか切り口があると思います。
ファッションは土地抜きには語れないと思うんですね。

(後注 当ブログ管理人が作っている服も、やはり武蔵野の強い影響を受けてます。
ここに米軍の爆撃を受けていない昔ながらの日本の街や自然が残っていたとしたら、もっと全然違う服を作っていたかもしれません。)


たとえば、中東の砂漠地帯でイスラム教の人が着丈の長い白装束を着て、頭にターバン巻いたり、女の人はスカーフかぶってたりしますよね。
これは、元々砂漠の強烈な日射しから身を守るために白い服やターバンやスカーフを着ているということと、風通しをよくするためにゆったりした長い服にしているということがあると思うんですね。

世界中で宗教対立みたいなことが言われていて、民主化や自由や様々なことが言われて爆撃まで起きた最近です。

でも、イスラム教の主流な人達が居るような砂漠地帯で、イスラム教の戒律に従った全身白装束の人と、自由で民主的な服装のたとえばタンクトップに短パンの人が強烈な太陽の下に居たとしたらどうなると思いますか?

イスラム教の白装束の人は強烈な日射しから全身を守ってくれる白装束があるから助かると思うんです。そして自由で民主的なタンクトップに短パンの人は日射病にやられて死んでしまうかもしれません。


つまりこういう状況ではイスラムの戒律の白装束は『生死に関わる重要な問題』なんだと思うのです。
イスラムの土地のような場所では全身の白装束は『生死に関わる重要な問題』だからこそ厳しい戒律になったと思うんですね。
その戒律が作られた背景には重要な意味がある。

だから、人権擁護派の民主的な人達が厳しい戒律を押し付ける人達のことを、この場面では絶対悪だなんてとても言えないということが判ると思うんです。


ただ、だからといってイスラム原理主義の過激な人達が正しいのか?というと、そうでもないと思うのです。


イスラム教は世界宗教ですから、地域地域で環境が全く違います。
たとえば、砂漠にあるイラクと、熱帯雨林の広がるインドネシアでは環境が全く違うので、当然同じイスラムといっても全く違う宗教になってしまいます。


おそらく、中東のイスラム圏での白装束は、元々日射しに対して弱い遺伝子を持った白人=アーリア人種が、移動したのか、自然破壊で森が無くなってしまったのかは分らないですけど、住むことになった土地での過酷な日射しから身を守るために産まれたのだと思います。
その証拠にブラックアフリカでは、日射しに対して抵抗力の強い黒人達が全く違うアプローチ(皮膚に泥を塗るなど)をしています。
条件(遺伝子や環境)が異なれば、対応すべきアプローチは全く違うものになるわけですね。


欧州では、顔を隠すスカーフを認めるか認めないか?という問題に発展していますが、これにしたってやはり、最初は中東の容赦ない日射しから身を守るための戒律だったものが変化して『文化』や『宗教』になった。
それを民族的、宗教的なアイデンティティとして、異なる環境の元でも押しつけようとするから、おかしな対立とかに繋がっていくのだと思います。


強烈な日射しでは無い場所で、髭を生やそうが、スカーフをかぶろうが、それはもう『生と死の問題』つまり必然的な問題ではなく、趣味の問題になっていくわけですね。
それはもう、『生と死』のレヴェルではどうでもいいことです。
『生と死』のレヴェルでどうでもいいことを、『生と死』のレヴェルに引き上げて法律で罰する罰しないという対立を煽ろうというのは、とても愚かなことだと思います。
もちろん、趣味で着る分には、全く構わないと思いますよ。
でも、それを他者に押し付けるのは違うのではないかと思います。



衣服が産まれた背景の奥底にあるものは、その環境と人間にとって、必ずとても意味があるものだったと思います。
ただ、それがその土地を離れてしまって、たとえばヨーロッパにイスラムの住民が大量に移民したりしてますけど、そこでイスラム式の正しさみたいなものを主張し始めると、様々な衝突が産まれてくると思うんですね。
イスラムの服の正しさは、その場所の中での必然だった、つまり生と死の問題だった。でも、違う場所で語られているのは外面的なファッションでしかないし、自分の記憶とかアイデンティティを繋ぎ留めるための道具になってしまっているんですね。
もちろん、それはそれで大事なことだとは思うのですが、自分や他者の死をかけて争うほどのものではないでしょう。



衣服のことは、表面的なファッションのレヴェルだけで語ってはいけないと思います。
服っていうのは本来、その服を着ることによって生きていけるようにする道具ですよね。
そして、やはり、その環境がもたらす光とか風とか皮膚の色とか、色々ありますけど、そういうものが一番しっくりとくるものを、一番多くの人達が美しいと言うように思います。
もちろん、例外はあるし、それはそれで大事なのですけれど。



竹田
「じゃあ、どの場所が、いわゆる『ファッション』を楽しみやすいとかはあるのですか?」

ccplus
「やっぱり極端に暑いところとか寒いところではない場所だと思いますよ。イスラムの土地ではないですけど、極端な気候の土地では、それしか着れないようになってしまうし、南太平洋とかタイとかだと、ファッションなんてどうでもよくなってくるでしょ?暑くって。」


竹田
「そうですね、もう服が邪魔ですね、考えたくもない感じです。足元もビーサンとかでいいし。」

ccplus
「でしょ!?だから、そういった場所からはファッションは発信されにくいですね。もっとも、タイはシルクの生地が有名ではあるんですけどね。
逆に北極圏とかだったら、もう毛皮とかダウン以外着れないし、生きていけない 笑」


竹田
「そうですね、じゃあ東京というか日本はファッションが楽しめる土地なんですね。」

ccplus
「そういうことです。」



つづきます。

by guild-01 | 2013-10-20 14:21 | FASHIONの本質