東京国立博物館で6月4日(日)まで行われている茶の湯展に行ってきました。
東京国立博物館で6月4日(日)まで行われている茶の湯展に行ってきました。
東京国立博物館
最近、器に興味を持っていて、(もちろん以前から興味はあったが、なるべく買わないよういしていた)自分の見る眼の基準を作ろうと思って、一番銘品が集まっているとされる茶の湯展を見てきたのだ。
結論から言うと、自分で1万円以上のお金を出しても欲しいと思えるような器は、10個以下だった。
古道具屋で8000円くらいで売ってる器との違いが、正直なところ、よく分からないものが多い。
もちろん、青磁の色とか綺麗だし、井戸茶碗なんかも良いものがあった。それは良い。
でもね。。なのである。
本当に本物なのだろうか?
というのが、第一の疑問。
あとは、フォルムがいくら良いといっても、再現不可能なフォルムなのか?ってこともあります。
もう一つは、展示方法の問題ですね。
あのライティングで良いのか?というのもありますね。
そもそも論なのですが、茶の湯がどのように形成されていったのか?
それは、中国や朝鮮半島の素晴らしい輸入の器に対して、日本で作られている器を使って、どのように空間形成していくのか?考えるところから始ったはずです。
器単体で見ると、当時、中国や朝鮮半島に素晴らしい器があって、それは高値で取引されていた。
当時の井戸茶碗とか青磁とか見ればわかります。素晴らしいものがいくつもありますから。
東京国立博物館に行ったら、是非東洋館も見てみてください。(面白いです)
青磁とか白磁というのは、自然光で見た時に非常に美しいです。
そして、あの色というのが、当時の日本ではなかなか作れなかった(材料が無かった)から、日本で作られる器を美しく見せる別の方法を思いついたのではないかと思います。(現在は、材料がいろいろ手に入るので様々作れますけど、当時は難しかったのでしょう)
それが、所謂『茶室』です。
利休が作った茶室が、なんで窓が下に付いているのか?というと、光の質をコントロールしているからですよね。
わざと、暗くしたのです。
その中で見る方が、日本製の器は綺麗に見えた。
だから、あえて、日本の器が一番綺麗に見える空間を作ったわけです。
それゆえに、日本の器が発展していったということがあります。
筆者の店も、今回の改装でライティングを変えたのですが、それで色々なことに気付きました。
現在のライティングで見ると、黒釉や漆器が非常に綺麗に見えるのです。
おそらく、茶室というのも、その効果を狙ったものだったと思います。
日本の高度成長期以降というのは、ライティングを蛍光灯にして、昼間の灯りに近づけるということをしました。
その結果として、それまで築き上げてきた、暗闇の中でほのかに光る美しさみたいなものの魅力が見えなくなってきてしまっていた。
そこへきて、現在は、ライトがLEDになってきている。
あたりまえですが、室町時代にLEDなんか無いわけで、そういう光で見て綺麗に見えるようになんか作っていないわけです。
昼間は、上からの光を避けて間接光
夜は、ロウソクや月明かりで見るということを前提にして器を選んでいるわけです。
それを今回の展示では無視しているんじゃないかという。
そもそも茶の湯の本質的なことを分かって展示しているのか、疑問なのです。
茶の湯展なんだから、器展示すれば良いってものでは無いだろうに。
なんか、釈然としないまま、平成館を出て、本館へ向かいます。
いやあ、久しぶりですね、国立博物館。
東京国立博物館と京都の国立博物館は、やはり、圧倒的に面白い。
で、やはり、良い品があるわけです。当たり前ですが。。
1億円出しても欲しいものとか普通にあります。
もっとも,筆者はそんな金持ってませんし、もしあっても、美術館級のものは、長い眼で見れば美術館に収めるべきと考えてますけれども。
東京国立博物館の展示品は、かなり厳しい眼で選び抜かれているものが多いです。当たり前ですが。。
しげしげと見ながら、日本には、やっぱりスゴイものあるよなと思いました。
まあ、そういうのが文化力であり、博物館とか美術館見ると、その国の文化レベルの奥行きが大体分かります。
もちろん、怪しげなものもありますけど、筆者の眼で見た場合、東京国立博物館の展示品は80%ホンモノ
茶の湯展は、80%アヤシゲですが。。
普通の人は、美術館に並んでいるんだから、ホンモノだと思って見ていると思いますが、筆者は違います。
アムステルダムの国立博物館のフェルメールだって、たまに、オヤ?と思うことがあるのです。
偽物(レプリカ)飾っているんじゃないかと思う時があるのです。
ライティングの問題もありますけどね。
それって、何度も見ていないと分かりません。
去年だか、レオナルドダヴィンチの真筆だかが来日したことがありましたけど、あれも筆者は真筆かどうか疑問です。
だって、レオナルドのスゴイ作品って、本当にスゴイのです。
前来てたのは、そうでもないわけです。
だから、じっくり見れないように立ち止まらせなかったのでしょうが。
見る人が見れば分かってしまいますから。
筆者が、日々鍛錬しているのは、名前やタグに惑わされずに、モノそのもの見る力です。
それって、あらゆる事象において大事なんじゃないかと思います。
それと、当店に置いてある器ですけど、それほど高価なものは置いてません。
日常使えるものです。
でも、ドキドキしますね。
それはなぜか?というと、ライティングと器の関係性を徹底的に研究しているからです。
それは、昔の室内画を描いていた画家と同じような探究心です。
良い器なのか銘品なのか以前に、その空間に置いた時に、どう見えるのか?
どういう料理を置いたら美味しそうに見えるのか?日々研究しながらやっています。
服もそうなんですよね。
モノとしての良さも、もちろん大事ですが、それ以上に、着た時にどうなるかが問題なのです。
着た時に、なぜか『しっくりくる』というのは、実はものすごく鍛錬されたデザインの結果としてあるのです。
作るの、すごく大変なんですよ。
世間には、そこに踏み込んだ展示みたいのが少ないなあと。
現在は、インスタグラムに代表されるように、写真写りの良さばかりが気にされる風潮があります。
でも、写真は加工出来るんですよね。
本当の美しさ、居心地の良さ、着心地の良さ、美味しさみたいなのは、写真では表現しきれません。
そういうのは、体験することでしか得られないのだと思います。
そういう体験を通して、どういう風に伝えていくのか?
いろいろと考えている今日このごろです。
by guild-01 | 2017-05-30 21:53











