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____collection no.9 名前の無いブランド小野智海さんの展示会に行ってきました。


東京コレクションウィーク レポート

____collection no.9 名前の無いブランド
当店取り扱いのデザイナー小野智海さんの展示会に行ってきました。

次回の2015SSコレクションでは、過去に出した様々なアイテムを修正しましたということでした。


名前の無いブランドとか、小野さんの服とか、いろいろな『名前』が呼ばれていますが、最近、当店でも「小野さんの服ありますか?とか、名前のない。。ありますか?と聞かれることが多くなってきました。


デザイナーの小野さんは、なぜ名前を付けなかったのでしょう??



【インタビュー】デザイナー小野智海はなぜブランドに名前を付けなかったのか?
http://www.fashionsnap.com/inside/tomoumi-ono/

に詳しく出ています。


すごく面白いインタビューなので、是非読んでいただきたいです。


筆者も「なるほど」と思うことが沢山ありました。


立体裁断は、BALENCIAGAの近藤れん子氏に学んだそうです。
オートクチュールの流れなんですね。
なるほど。。


文化服装学院→東京芸大→サンディカ→マルジェラ という道は、多くの考えや方法論にたどり着くと思います。

アプローチが多様ですからね。

そして、メルロ・ポンティの現象学か。。


以下一部引用

パターンは近藤れん子氏に学んだ。
 60年代にパリのEcole de la chambre syndicale de la couture parisienneを卒業して「BALENCIAGA(バレンシアガ)」で働いていた彼女に立体裁断を学べたことはとても素晴らしい経験でしたね。彼女のカッティングは、本当にクチュールのカッティングでした。例えばジャケットのトワルを組む時、通常はパネルラインや脇をウエストで絞りますが、彼女の場合その部分を爪で挟んで生地を伸ばしながら組んでいきます。そうすると絞った部分のシルエットがとても甘く柔らかな線で立ち現れてくるわけです。線一つとってもそうで、ダーツなども淡いカーブをそのまま使うのでとても立体的で奥行きのある柔らかいシルエットになるのですね。
http://www.fashionsnap.com/inside/tomoumi-ono/


名を付けないことが重要なのではないのです。あくまでそれは一つの過程です。私自身の名は出していますし、匿名性というものではありません。本の著者の様な形で、別のモデルを思考するということです。
http://www.fashionsnap.com/inside/tomoumi-ono/index3.php



現在は生産の高速化によって、新しさがすり減る前に価値を失ってしまう服が多くありますね。それは、記憶も忘却も無い断片的な瞬間の連続としての時間です。モードは確かに、長いスパンの時間の中で忘却をうまく利用しながら新しさとを作り出してきましたが、現在の瞬間化する時間に対して、記憶へと姿を変える時間の中に新鮮さを保つような時間や個々の記憶が新鮮な輝きを持つ時間というもののあり方などについて考えており、それらを今後の制作に活かすこともあるかも知れません。
http://www.fashionsnap.com/inside/tomoumi-ono/index5.php


以上引用



筆者は、小野さんと、服と着る人の関係性について話をしました。


たとえば、同じ服でも、150センチの人が服を着るのと、160センチの人が服を着るのと、170センチの人が服を着るのとでは、服の見え方が全く違ってきます。

太っている人や痩せている人、年齢や性別、骨格の付き方によっても全然違います。

それが、服が一番面白く、そして難しいことなのですが、


小野さんは身体が大きいですが、ご自身が制作された38のサイズのコートを着ることが出来ます。

そして、そのコートは、小野さん自身を恐ろしく華奢に見せます。

デザインって不思議です。


今回、小野さんのチェスターフィールドコート(サイズ40)を入れてみて、始めて肩から背中の作りが独特なことに気付きました。

これが、オートクチュールのパターンの影響なのだ。。

軽くて、着心地が軽い。
しかも、落ち感が非常に素晴らしい。


このコート、わざとサイズ40メンズ対応で考えていたのですが、もしかすると、このパターンは、小さめの女性にも合うかもしれませんという指摘をしたところ、「小さい人に、むしろ合います」というお答え。


というわけで、チェスターフィールドコートの小さいサイズをもう一回追加で入れようと思っています。


好評のPコートの大きいサイズは売り切れだそうです。ごめんなさい。

by guild-01 | 2014-11-01 15:46 | tomoumi ono

RAF SIMONS 2006SSのワイドパンツと『ラフシモンズ インタビュー』

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contemporary creation+ 所蔵の稀少品をご紹介します。

今回ご紹介するのは、JIL SANDER の後はCHRISTIAN DIORと、世界のトップメゾンのデザインディレクターを務めている、文字通りのトップデザイナーであるラフシモンズ(RAF SIMONS) 2006SSのワイドパンツです。

100%COTTON SIZE 46

稀少品につき、PRICE ASK


ショーの模様はこちらから

http://www.style.com/fashionshows/review/S2006MEN-RSIMONS




元々家具のデザイナーであったラフシモンズが、ベルギーのファッション学校である、アントワープ王立芸術アカデミー(Academie Royale des Beaux-Arts d'Anvers / Royal Academy of Fine Arts Antwerp)に入学しようとしたところ、面接時にデザインコンセプトや技術、デザイナーのあるべき姿等を語ったら、(それらを学ぶために存在するアカデミーには)「もはや入学する必要が無い、と言われた」というのは、有名な話。


実は、この前、当店でエキシビションを行ったYUYA TAKATE氏にも、管理人は、同じようなことを言いました。(笑)



ラフシモンズのコレクションは、見るべきものが多いですね。

それは、彼の作品が、ただ単なる服ではなく、アートにより近いものだからだと思います。

作品に深みがあるのです。



下にリンクしたのは、ファッション雑誌『GQ』によるラフシモンズへのインタビューですが、労働者階級の父母から生まれ、ファッション界とは無縁の環境で育った彼が、マルタンマルジェラのショーと出逢って衝撃を受け、ファッションデザインを志す様子が語られています。


GQ 『ラフシモンズ インタビュー』
http://gqjapan.jp/2012/04/25/raf-simons/




こちらの商品のお問い合わせ

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by guild-01 | 2014-02-06 18:40 | 稀少品

クリエイターインタビュー第二回 TAKIZAWA NARUMI その1

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クリエイターインタビュー第二回 TAKIZAWA NARUMI



今回は、東京は恵比寿の奥、広尾との中間地点に小さくて美しいアトリエ兼ショップを持つデザイナーTAKIZAWA NARUMIのインタビューです。
ほぼアトリエでデザイン、パターン、カッティング、縫製、仕上げを行われる服達は、本当に美しいです。

TAKIZAWA NARUMIインタビューの第一回は、核融合エネルギーの実現を目指していた理系の大学生が、服作りに向かうきっかけが語られています。

大変面白いので、是非お読みください。よろしくお願いいたします。


以下インタビュー


ccplus
こんにちは、本日はよろしくお願いいたします。


takizawa
よろしくお願いいたします。


ccplus
滝沢さんは、たしか東京理科大出身なんですよね??デザイナーの経歴としてはめずらしいですね。
どういう経緯でそちらに進まれたのですか?


takizawa
中学生のときに通っていた塾の先生がおもしろい先生で、教育改革を文部省に提案したり、英語の習得の仕方を考案して提案したりしていました。論文を勝手に送っていた訳です。一応リアクションもあったらしいです。
当時ぼくの知っている大人にはいないタイプの人でした。もっとも、周囲の大人にも変わり者と思われていたみたいですが。

授業中もよく内容が脱線していました。ぼくはそっちの方が楽しかった。だから授業が終わってからも二人でいつまでも話をしていました。全部は思い出せない位たくさんのことを話しました。
でも大体は未来のこと、これからの世の中のこと、それは子供達だってこと。

日本の将来を憂いていました、田舎のとても小さい町の隅っこで。

それでその話の中に「核融合』っていうのがあって、「これは水素が融合してエネルギーが発生する、核分裂とは違うエネルギーだ」と。
中学生には固い話だし、最初はチンプンカンプンでしたけれど、先生のおもしろいのはここからで、「太陽はこの原理で燃えているんだよ、つまり地球に小さい太陽を作るっていうこと。しかも 原料は水だからどこでも半永久に手に入る、すごいだろ!」
こんな風に説明されたら「将来、核融合を自分が完成させる!」となってしまい、それで理科大まで行きました。


ccplus
なるほど。きっかけは水素文明なのですね。
どういう環境で育ったのですか?たしか長野県出身ですよね??


takizawa
長野県です。311大震災の時、翌日に大きな地震のあった県北部の栄村の隣町です。


ccplus
それはまた大変な場所ですね。
あのあと、なぜか連続して大きな地震が起きましたけど、大丈夫だったんですか??


takizawa
実家は大丈夫でした。ですがあちこち崖が崩れたり、ひびわれたり、陥没したり。あまり報道されないのですが、大変な惨状だったようです。


ccplus
あの後は、実家に帰ったりしたのですか??


takizawa
そうですね。ですが元々よく帰る方です、ぼくは。家のまわりは360°山なのですが、それが落ち着くんです。山それ自体も好きなのですが、どこを見渡しても大きな山に囲まれているという景色がいいですね。
山の麓には千曲川(信濃川)が流れていて、その河川敷にある砕石場やコンクリートプラントも懐かしくて好きです。


ccplus
ファッションに興味を持ったのはいつ頃からですか?


takizawa
年の離れた兄と姉が居るんです。兄は7歳差、姉は5歳差です。
で、物心つく頃には、兄とか姉がファションとか音楽に凝っていて、それで影響を受けたのではないでしょうか。

でも、だからといってデザイナーになりたいとか思っていたわけではなくて、普通に、いろいろ情報を得たりするのが楽しかったのです。


ccplus
子供の頃はどういう風に育ったのですか?


takizawa
母は公務員で役所勤めでした。勤続四十数年です。とにかく毎日忙しそうだった記憶があります。
ですが、長い休みのときは課題や宿題を一緒にやってくれたことも思い出します。

日中子守りの出来るのがおばあちゃんしか居ないので、小さい頃は父がぼくを仕事現場に連れて行って
くれました。
別に手伝うでもなく、その周辺をぶらぶらしていましたが、嫌がるわけでもなく、よく仕事現場に行っていました。そういうものかなと思って。


父は身一つで土建会社を起こした人です。どんな苦労をして今にいたるのか、その経緯は聞いた事がありません。でもいつも活き活きとした姿しか見せる事のない人です。

自身は学費がなくて、思うように高等教育が受けられなかったということもあり、子供が勉強したいと願えば、援助を惜しまない感じでした。
ぼくよりもずっと発想力と行動力があって、クリエイティブな人だと思います。


ccplus
勉強はしましたか?


takizawa
勉強はしました。好きだから、という訳ではないですが。
教科書、参考書、過去問10年分、隅々まで暗記するくらいに。
勉強していないとなんだか不安だった学生時代でした。


ccplus
それで、東京理科大学に入ったのですよね??


takizawa
理工学部 物理科です。で、そこを中退して文化服装学院に入りました。


ccplus
また、なんでそういうところから、核融合やろうと思っていたところから、突然ファッションをやろうと思ったのですか??


takizawa
突然ファッション、という訳ではありませんが、短く説明するとすれば、大学の夏休み、そのひと月で価値観が変わったんです。

実家の土木建築の仕事を手伝いました。
ぼくは主に建物の基礎工事です。

幼少から見慣れていた仕事ですから、それなりにやれる自信はありました。

若気のいたりで、こういう仕事を少し下に見ていたのでしょう。正直にいうと。

そこでガツンとやられたわけです。

頭脳も体力も人間性も、すべてにおいて自分の小ささを自覚しました。
そんなあたりまえのことを、ですが。


現場監督に毎日怒られながらも必死に仕事に打ち込みましたね。出来ないままでお給料もらうのも恥ずかしいですし。

で、ひとつの工事が終わるわけです。

すると施主さんから感謝されるんです。
「良い仕事をしてくださってうれしいです。ありがとうございました」と頭を下げられるんです。なにも出来ないアルバイトのぼくに対してもです。

そしてそこで何十年という、人の営みが始まるのです。

とてもシンプルに感動しました。施行が完了する度に感動しました。

休憩の時にみなさんお菓子やお茶などを用意してくれます。仕事をしている人たちへのねぎらいや尊敬があるのでしょう。

一ヶ月に渡るアルバイト最後の日、やっと終わったと脱力しているぼくに、おじさん達が声をかけてくれるんです「ナルちゃん今日で最後なの?一緒に仕事出来て楽しかったよ、もっと一緒に仕事したかったな」

 ぼくが必死でくっついていた現場監督さんがまわりの人たちにこういっていたそうです「ナルミはなんにも出来ないけど、一度指示したことは忘れずにやってる。よくやってるよ」って。


ccplus
なるほど
その感覚はよく分ります。

うちも父が造園業なので、小さい頃からよく手伝っていました。

それで、何年かすると庭がどういう風に変わるとか、ずっと見てきたので、よく分ります。

職人さんて凄いんですよね。
何を成すべきなのか、本当によく分っていると思います。
それは、自分の手で、経験で積み上げていったものなんですよね。

造園の場合は、どれだけ綺麗な庭を作っても、時間を積み重ねても、遺産相続で庭が潰されて跡形も無くなってしまうことが多く、それが辛いのですが。。

建築というのは、目の前で、自分が関わってきちんとモノが出来上がっていくのを体験出来ますからね。物理学みたいな抽象的な概念ではなく、そういう目に見えて何かが出来上がる。そして、そこに人々の暮らしがあるっていうことに惹かれたのかもしれないですね。

それで、建築ではなく、なぜ服だったんですか?


takizawa
聞いたひとが納得するほどの理屈はなかったと思います。元々ファッションは好きでしたし、興味はありましたが。

夏休みが終わってアパートに戻り、課題をやらなければと思ってノートとペンをとり、教科書を開いたときにあれ、なにか違う気がする、と感じたんです。それでそのまま電車に乗って実家に戻り、夜中に両親に「大学を辞めさせて下さい」と言いました。

それで「どうするんだ?」と訊かれたときに、「服飾の勉強をする」といいました。他になにも思いつかなかった、事実はそれくらいのことです。

決してアパレルやデザイン業を軽視していた訳ではないですよ。ですがまだ学生だったので、そんなに高尚なことをやるとかいう決意ではなかったということです。
「なにか創りたい」という衝動のほうが前面にあったと思います。

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ccplus
その、『なぜ服だったのか?』ということについて、もう少しお聞きしたいのですが、モードを知ったのはいつくらいですか?


TAKIZAWA
1996年とかそれくらいです。


ccplus
最初はどのブランドが好きでした?


TAKIZAWA
ラングです。HELMUT LANG プラダとかラングの全盛期の頃です。あとジルサンダーです。ミニマルで美しかったですね。


ccplus
僕も実は、こういう服をやりたいと思ったのは、イタリアでそういうブランドのウインドーディスプレー見た時からですね。当時、アートを見に欧州を旅していたのですが、イタリアのショップのウインドーディスプレーが衝撃的にカッコ良かったのです。まさに、現代美術だと思いました。元ジルサンダーのデザイナー 上榁むねのりさんも、たしかそういうことをおっしゃっていました。


TAKIZAWA
ミニマルっていう概念も好きです。性に合うといいますか。


ccplus
ミニマルなものが好きな人って、雪国の人が多いような気がします。
雪景色って、ミニマルで美しいですからね。


TAKIZAWA
雪景色の美しさっていうのは、たしかにあると思います。
僕は、生地の色を見る時に、何色か?を見ないんですよ。

生地の表面にある光の反射に反応しているような気がします。


ccplus
雪景色って時間帯によって光線の具合が変わって微妙に色彩が変化していきますからね。
それが美しいですよね。

そういえば、滝沢さんの服は、その微妙な光の当たり具合が、生地とかドレープに良く出てきるような気がします。


TAKIZAWA
それはどうもありがとうございます。
それで、その後にマルジェラとかアンドゥムルメステールとかマルクルビアンとか、雰囲気の違うブランドを知って、また別のデザインにも惹かれるようになりました。そういうのが、脳裏に残っていたのかもしれません。だから、服だったのかなと。でもやっぱり「ファッションデザイナーになりたい」とは全然考えたことはありませんでした。


ccplus
それは、一番面白いときにファッションを見たのだと思います。その辺りから2003年くらいまでが一番面白いでしょう。

イラク戦争あたりから段々面白くなくなっていったと思います。

おそらく、石油の値上がりで、中東などの産油国がべらぼうに金持ちになって、その資金が金融界に流れ込んでバブルが起き、投機その他でお金持ちになった層がでてきて、そういうファッションを買う層が変質した為なんじゃないかと思います。
あくまでも顧客あっての服ですからね。


takizawa
ぼくに関しては、マルジェラ以前と以後でなにかが少し変わりました。


ccplus
そうですね、それは僕も共感します。マルジェラがみんなやってますからね、面白いことを。


takizawa
なにかを作ると「マルジェラ好きでしょ?」と言われることがよくあります。実際にマルタンさんがそういうサンプルを作っていなくても「マルジェラっぽい」となります。それで嫌なおもいをしているわけではないですが。


ccplus
ただ、作っていなくても、いつか作っている時もあるんですよね。それくらい、あれこれ作ってますよね。自分で工夫して作った服が、お客さんから、それ「今シーズンのマルジェラから出てますよ」と言われたことありますもの。
偶然、いじっていたら、同じところに辿り着いたということです。
僕は、特段マルジェラに憧れているわけでは無いのですが、自分の感覚に近いんですよね。だから、そういうのって自然に出てきますよね??


takizawa
もともとマルタンさんがやっているような、服とかそれに付帯する歴史に対するアプローチの仕方がぼくも好きなので、自然と近いところにおさまるんです。
そういう感覚とは違った解釈で表現しようと考えたりしました。自分オリジナルを探すとか。でもそもそも好きじゃないことをやっても、いいものがまだ作れないんです。


ccplus
困りましたね。


takizawa
困った事もありましたけど、今はそんなに気にしていません。


ccplus
このインタビューシリーズは、あくまで、『マルジェラ以降、もっとおもしろいファッションの創造』を目指してインタビューしてますので、あとで色々聞きます。
でも、確かに、あの一番面白い時期にファッションの洗礼をうければ、それはファッションがやりたくなりますよね。分かります。


takizawa
現在の人はどうなのでしょうね。何に反応してファッションをやろうと思うのか。


ccplus
どうなんでしょう?誰に反応して服作りをやろうと思うのか?いろいろ聞いてみたいですね。

で、服作りを勉強したいと思って文化服装学院に入ったわけですが、親から反対されませんでした??


takizawa
反対されました。「一時の気の迷いだから、大学を卒業してから考えなさい」と。親からしてみれば当然のことだと思います。まして、母は公務員ですから。


ccplus
どうやって説得したのですか?


takizawa
説得なんて出来ませんでした。言い張っただけです。
ただ最終的には、「反対も賛成も親としてナルミの幸せを願うからだ」ということを言われました。
それでファッションの道に進んだわけですが、ぼくの幸せそうな顔を見て、「母:これでよかったのかもしれない」といっていたよ、と後日姉から聞きました。


その2へ続く


TAKIZAWA NARUMI
http://temp.takizawa-narumicom.officelive.com/default.aspx

by guild-01 | 2012-03-31 14:24 | TAKIZAWA NARUMI

uemulo munenoliインタビュー




changefashionに上榁むねのり氏のインタビューが掲載されています。
大変面白いので、是非ごらんください。


uemulo munenoli ~シャツの概念を曖昧にし、シャツの概念を構築する~ 1/3
http://changefashion.net/interview/2012/02/05191349.html

uemulo munenoli ~シャツの概念を曖昧にし、シャツの概念を構築する~ 2/3
http://changefashion.net/interview/2012/02/07192940.html

uemulo munenoli ~シャツの概念を曖昧にし、シャツの概念を構築する~ 3/3
http://changefashion.net/interview/2012/02/09193455.html

by guild-01 | 2012-02-12 19:40 | uemulo munenoli

DAN TOMIMATSU インタビュー 第三部 帰国編

DAN TOMIMATSU インタビュー 第三部 帰国編

D A N T O M I M A T S U
http://www.dantomimatsu.com/


ccplus
帰国して、デザイナーの小宮山洋氏と『dan to yoh』というデザイン事務所を立ち上げられますよね?
その経緯から聞かせていただけませんか??


dan
元々、小宮山くんとは、多摩美で同級だったのですが、彼は建築で、僕はプロダクトなので、特別仲が良かったわけではなかったのです。
それが、イタリアから帰国する時に、ニューヨーク経由で帰国したんですが、その時に、小宮山くんがニューヨークに居て、立美の時に一緒だった東京コレクションでデザイナーやっているSACHIO KAWASAKIのショーの空間演出を頼まれて、一緒にやろうという事になったんです。

それが直接のきっかけです。

結局、SACHIO KAWASAKIのショーの演出に関しては、色々な面が折り合わずにボツになるのですが、小宮山くんとの共同作業は続けていくことになりました。


ccplus
dan to yoh では、公立高校のトータルデザインもやってますよね。
あれは、どういう経緯でデザインされることになったのですか?

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dan
あれは、元々はパンフレットの依頼だったのです。
パンフレットのデザインだったのですが、パンフレットをデザインする上で、校章とかいろいろな要素があるじゃないですか?
そういうのもトータルでデザインしないと、効果的では無いとプレゼンしまして。。
結局、いろいろなデザインをやらせていただける事になりました。


デザインしたのは、町田総合高等学校といいまして、東京都の総合学校プロジェクトの最後のプロジェクトで、モデルになるべきプロジェクトだったのです。


総合高校のプロジェクトというのは、元々、都立には技能系の専門高校があったのですが、中学3年生の時に、まだ自分が未確定なまま将来の進路を決めてしまい、高校に進学したら、実は自分に向いていなかったという事例が相当な割合であったのです。
それは、人生において悲劇的なことです。

そうなることを防ぐために、総合高校というものを作って、その中で、専門的なカリキュラム、美術とか家政化とか技術とかを単位として習得出来るシステムを作っていこうということでした。


そこで、人間形成をしながら、自分に合った将来の職業を見つけることが出来るような仕組み作りの一環だったのです。


ccplus
そういう高校が出来ていたとは初めて知りました。
でも、そうですよね。そんな簡単に自分の適性が分るはずないので、そういう制度は素晴らしいですね。


dan
そうなんです。
そこで、デザインは、そういう要素をベースに考えました。


まず、教育を植物の成長に喩えて考えてみました。

すると、植物の成長にとって最も大切なのは光です。

教育というのも光のようなものなのではないか?と考えました。

それで、光を校章にしました

光という物は本来無色透明ですから弁化して表現することは出来ないはず です。
そこで発想を変えて、光を描くのではなく影を作る事で光を感じることので きるようにして School identity としました。

従来の教育者が、無理矢理自分達の作った思想やカリキュラムに嵌め込む教育では なく、目の前に居る子供達を中心とした純粋に 包み込む光が必要だと考えたのです。

そして校章の軸を箱でしかない学校から光を宛てる教育行為へと移した事で、総合高校の持つコンセプトも表現出来るのではな いかと考えました。

併せて、フレキシブルに授業カ リキュラムを対応させる教育方法から、光のあたり方が違う校章も制作していま す。



『 光の校章 』

植物は芽を出すと『光』のさす方へ自然に進んでいきます。
生命の根源的な希望が『光』にあることが分かります。
人間にもそのようなことが言えるのではないでしょうか。

長く続く人生という道が始まった時から
進学・就職・結婚といった、様々な目的や目標となる
道しるべがそれぞれの人の前に立ち現れてきます。

ただ、『光』のない暗い道を歩く場合、
目的や目標となる道しるべを見つける事ができずに
不安をかかえたまま、道を進んでいかなければなりません。

その道に『光』をあて、明るく道しるべを照らすことで
長く続く人生を豊かにすることができます。

この学校の大きな特色である” キャリア教育” は、
生徒にとって希望の『光』となりえるのではないでしょうか。

私たちは道を照らす『光』が町田総合高校の本質だと考えます。
『光』をあてるという行為、『光』があたっている様子を
影を使い学校のシンボルである校章として表現しました。

A r t  d i r e c t i o n  d a n  t o  y o h

http://www.machida-sogo-h.metro.tokyo.jp/kousyou.html


1年ちょっとこのプロジェクトに関わりました。

そこで、色々な問題について考えさせられました。

まず、公共事業の発注というのは、最低価格落札制度になっているんです。
最低価格で入札したところが施行するわけです。

そうすると、当然のことながら、色々なものが粗悪になっていくんですよ。
部品は当然中国製になっていったり。
良いものを作ろうとすると、当然お金がかかるから、最低価格制度では落札出来ないのです。


頼みたいデザイナーが居ても、頼めない仕組みになっているんです。


ccplus
それは、大問題ですね!
それで、ふつうの学校とかボロいんですね。意味が分かりました。

最低価格ということは、たとえば、ステンレスのネジとか使えばずっと錆びないけど、単価が安いネジ使うと錆びますよね。
それだけで、全てがダメになりますよね??


dan
そうなんです。コンクリートもそうです。
最早まっとうな価格を提示す る事は出来ない状況にあります。価格競争の激化が進んでいます。

予算に関してもう一つ、ウェブのデザインもやりたかったのですが、日本では予算が個別につくので、 ウェブの予算は下りませんでした。 教師が作れば良いということになっているようです。

テンプレートのようなものも 用意されているのですが、、、なのでどこの学校も同じ様な印象になっています。 このネット社会に、ウェブのデザインの費用も出ないのかなとは思いました。 すごく良いデザイン案があったのですが。。


 ccplus
なるほど。そうだったんですね。。

武蔵野市で、100年通用する小学校というのを建てたことがあったんです。
ファッションの撮影に使おうかと思ったくらい良く出来た小学校だったんですが、市議会では、野党側から予算の無駄遣いとしてバッシングされていました。

でも、子供が快適な小学校の方が、子供はよく育つに決まっているじゃないですか?

一番感受性が豊かな時期に、牢獄のような建物とか教室に閉じ込められたりしますものね。日本は。
もしかすると、嫌な場所でも我慢して居続けることを学ぶために学校という制度が作られたのかな?と思ってしまいます。
だから、落書きしたり、窓ガラス割ったりする子供が出てくるわけで。

学校が楽しい場所なら、子供は進んで行きたいと思うはずです。


dan
欧州だと学校は、ものすごく荘厳な建物だったりしますよね。
元々教会のようなものなんです。
そういうところでは、感じ取るものが違うと思います。

話は少しずれるかもしれませんが 自分の卒業した母校が数年の内に廃校になり解体されるということはとても悲しい 事です。 原風景がどんどんデリートされて行く訳ですから、、、


ccplus
何か、日本の公共事業は、お金を使うところを間違っている気がしますよね。
作れないダムに8000億円かけるとか。
そんなにお金をかけるのなら、身の回りの学校とか街路樹とか、様々デザインして、快適な街作りが出来るはずで、しかも、その予算を使う施行業者は同じはずだから、特に何の問題も生じないはずなんですが。。

無駄な公共事業を減らせというよりも、ちゃんとデザインして、人々の幸せになるように公共事業をやってほしいです。


dan
それが本来のデザイナーの役割だと思うんです。
ほんのちょっとしたことで、全然良くなるのですが。。

イルミネーション一つとっても、光のことをよく分っているデザイナーに頼むだけで、全然よくなるわけですから、なんで頼まないのかが分らないです。
今の街の現状を見たら、使う予算は、ほとんど変わらないというより、むしろ安く上がると思うのですが。。
予算を使うためだけにやっているとしか考えられないです。
イタリアとは、真逆の発想ですね。
イタリアは、安い予算で最も効果が高い方法を選んでデザインしますね、そういう場合。

そういうイタリアも、別の面では汚職とかいろいろありますけど、もちろん。
デザインに関しては、ちゃんとしてます。街も綺麗ですし。。


ccplus
イタリアは街が綺麗ですよね。
だから皆、また行きたいなという風に思います。

日本は、また行きたいと思う街が少な過ぎます。どこに行っても同じような駅前の風景が広がっていて。。

少なくとも、京都や鎌倉みたいなところだったら、何度も行きたくなるわけですし、小布施や川越のような小さな街でもリピーターが多くいるわけですから、地方の小さな都市でも出来ないはずないのですが。。

他にはどういうことをやっていたのですか?


dan
ツイッター演劇というのもやりました。

二人共、演劇が好きなんですよ。で、よく見に行っていたのです。

でも、演劇はマニアックな世界で、映画とかテレビに比べると、全然観客の数が少ないじゃないですか。
閉鎖された中でやっている感じです。

それで、演劇って、ようするに何だろう?と思った時、これは、生なんだ。という風に思ったのです。

生だから、観客と演技者の相互作用があるから面白いんだという事に気付きました。


それで、相互的なコミュニケーションが生まれる中でのお話ということだったら、ツイッターでデジタル演劇が出来るかもしれないと思い、デジタル演劇をやってみたのです。
それなら、もっとオープンに、リアルタイムで楽しんでくれるのではないかと思いまして。


で、みんなにツイッターアカウントを取ってもらって、生であらかじめ用意した脚 本、映像。 動画や写真をアップしていくのです。

脚本も何時何分にこのTweetみたいなかんじ で組まれています。当然フォロワーからフィードバックがあるわけですから、リア ルタイムで脚本を書き換えて行く必要が在ります。けっこう大変でした。。。

な ので、脚本の原文は同じですが、毎回違うストーリー或は印象になります。 ツイッターのフォロワーが3000とか4000とかになりました。このお客さん が観客となるわけです。

ここで、ソーシャルメディア、フェイスブックとかの活用の仕方を憶えました。


現在スタートしているプロジェクトは、 to magazineというものです。

正式には、dan to yoh to magazineというのですが
具体的にはインタビュー。
まさに今ここでやっているようなことなのですが、タモリのテレフォンショッキングみたいに、友達の紹介でどんどん繋がっていくインタビューにしたいと思っています。


ccplus
メディアも作ったのですね。
だんだん DOMUSみたいになってきましたね。
ところで、『yoniji』という虹の出る照明がありましたけど、あれはどういう経緯で生まれたのですか?

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dan
あれは、小学校の時の理科の実験で虹を作ったことがあったのです。
それが綺麗だったことを思い出して、虹が出来るキットというのを買ってきて、その技法を応用して照明に出来ることを思いつきました。

これも2010年の作品です。


ccplus
発想が素晴らしいですよね。
そしてロマンチックです。

『veil』という 生け花がドライフラワーになっていく過程を見ることが出来る花瓶は、どういう経緯で誕生したのですか?

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dan
『veil』は、実は大学一年生の時に授業で制作したものなんです。
もちろん、形状その他は違うのですが、おおまかなコンセプトは同じです。

授業で制作したものなんですけど、当時売れたんですよ、何点か。
それで、これはプロダクト化出来るかもしれないと思いました。


イタリアへ行っていた時、向こうでは、貧しい人が薔薇を売りに来るのです。
一本1ユーロで、これを買う習慣になっているんですが、貧しい人達が作ったものなので、直ぐにしおれてしまうんです。

それで、部屋に何本も薔薇があるようになって、ある時、自分でもドライフラワーを作ることにしたのですが、その時、そういうことが出来る花瓶があれば良いなという風に思ったのです。

イメージソースは、『オフィーリア』です。
ルーブル美術館にある。

それとビルエヴァンスのアルバム『アンダーカーレント』です。

実は、ビルエヴァンスの方は、『オフィーリア』を元にしているそうです。


ccplus
『オフィーリア』は凄い絵ですよね。
僕も、ルーブルで見た時、背筋がぞくぞくしました。
たしか宮崎駿も絶賛していました。
「こんなに凄い絵が世の中にあるのか!」って

dan
水の中に沈んでいるのか、空中に浮かんでいるのか分らない感じが素晴らしいですね。


ccplus
アクセサリーのブランドをやろうと思ったきっかけは何だったのですか?


dan
日本の工場に、フェラーリとかスペースシャトルの部品を作っている、ものすごくハイクオリティな工場があるんですよ。
でも、本人達は、何を作っているのかよく知らされないまま、設計図通りに、ものすごい技術で作っているのです。

もし、その技術が無かったら、スペースシャトル飛ばないかもしれないのです。

でも、その会社は下請けなのです。


たとえば、スワロフスキーなんかも、もともと下請けで、ダイヤのカットから始まって、ものすごい技術力なんです。
でも、下請けで終わらずに、その技術力を商品力に変えて世界的なブランドになりました。

エルメスなんかも、元々は馬具作っていた会社です。
それが、ちゃんとしたものを100年作ってきて、世界的なブランドになったんです。

でも、日本の工場は、今でも下請けのままです。


ブランドになっているのは、トヨタとかホンダとかパナソニックとか、最終的にパッケージングして売り出している会社です。

工場がブランドになっていないのです。


それで、東京ビッグサイトというところで技術市というのをやっていて、技術屋さん達が、いろいろ展示しているというので見にいってきたのです。

内輪の展示会という感じで、技術屋さんたちが集まって展示をしていました。
すごく閉鎖的な感じなんです。


その中に、指輪をデザインサンプルで展示している切削会社があったので、「こういうのなら、ちゃんとデザインをすれば魅力的な製品になります」と、プレゼンして、デザインをやらせてもらえることになりました。

それで、チタン削り出しのリングを作りました。


切削会社は、もともと下請けなので、時間あたりの単価で仕事をしています。
なので、動かしていない時間があるのです。
その時間を有効活用して、工場のオリジナルの商品開発をしようという計画でした。


ただ、これは、指輪を作るのに、とんでもなく時間がかかりました。
時間あたりいくらという仕事なので、チタン削るのに10時間とか平気でかかるのです。
だから、 F−1マシンとか、あんなに高価なのですが、指輪も高価になり過ぎて難しかったです。

原価が高くつき過ぎているのです。その解決案的なデザインプロジェクトも進んでいますので次回に期待して下さい!


ccplus
このプロジェクトが、現在のアクセサリーデザインに繋がっているわけですね?


dan
そうです。
実は、相方の小宮山くんが、内装関係の仕事で上海に行くことが決まったんです。
経済活動の活発な上海に行く事はとてもエキサイティングな ことです。


もちろん、彼が上海に行っても、共同のデザインは続ける予定なんですけど、自分の個人プロジェクトの方に使う時間も増やすことが出来るということで、私自身プロダクトと基より興味のあったファッションの中間的なイメージもありまして 、アクセサリーという方向になりました。


それで、このチタンのプロジェクト進行させていたところで、例の311地震が起きました。


ccplus
それでどうなったんですか??


dan
それで、当然のことながら、原発が爆発して電力不足とかいって、実際本当に電力が不足していたかどうかは分かりませんが。。。 、計画停電になったじゃないですか。


ccplus
現在、ほとんどの原発が止まってますけど、全然電力不足にならないですよね。
もちろん、全部止めても全然大丈夫なんです。もちろん、あの時は、他の火力が火災で止まったり、原発動かすためにそもそも稼働させていなかったこともあったと思いますけれども。。


dan
そうですよね?
それで、工場も当然のことながら止まってしまったのです。

やがて稼働するようになったのですが、大口のクライアントの仕事が優先で、全然生産が進まなくなってしまいました。

この時に、自分がコントロール出来ない領域でだけ仕事を進めていってはダメだと分ったのです。

なので、自分がコントロール出来る範囲で制作出来る、アナログな方式に切り替えたのです。

もちろん、将来的に、日本の素晴らしい先端技術を使ったデザインというのは、またやりたいと思っているのですが、現在のような状況では、もっとアナログな手仕事を使ったデザインで、どこまで造形とか表現が出来るか?を突き詰めていった方が良いと考えました。



ccplus
その第一弾がラバーバンドだったのですね?
あれは、どういうことから着想したのですか?


dan
第一段というか、アクセサリーを始めるにあたって、制作手順のトライアル的な位 置付けで、根本的なブランドコンセプト再結晶、この場合は記憶を再結晶させると いうコンセプトを盛り込みながらシンプルに仕上げました。ホテルのイベント用に 作成したというのもあります。

ある時、お菓子を食べていて、包んであった輪ゴムを取って、手に嵌めたのです。
その時に、これは美しいんじゃないかと思いました。

物自体の面白さに併せて、人がある共通の記憶を持っていてその記憶のプールを波立たせるオブジェクトでした。


それで、シルバーで輪ゴムの形状を模して作ってみたところ、これが、金属なのに柔らかくて整形出来るのです。

輪ゴムっぽさを出すために、シルバーの土台をあえて古い機械でざらっとした テクスチャーに仕上げています。先端の押し出し機械で角棒を作るとどうも工業製 品っぽくなってしまうのです。

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ccplus
ラバーバンド、凄い人気ですよね。皆の琴線に触れたみたいです。
周りのデザイナー達もかなり買っていましたし。

ところで、『ラバーバンド』を発表する時に、ホテルでデザインイベントを一緒にやりましたけど、そのきっかけについて教えてください。


dan
あれは、(元ジルサンダーのレディース布帛部門のチーフデザイナーだった)上榁むねのりさんと一緒に、チタン削り出しのリングの展示会とレセプションパーティーをうちのアトリエでやった時に、ホテルのデザイン的なプロデュースをやっている方がいらしていて、こういうパーティーをホテルでやりたいと誘っていただいたのがきっかけです。


ccplus
上榁さんとはミラノで知り合ったのですか?


dan
そうです。ミラノサローネで知り合いました。
それで、何度か飲んでいるうちに仲良くなりました。


ccplus
うちにも紹介していただいてありがとうございます。
本当に美しい服を作っていらっしゃる方ですよね。


dan
造形力が凄いですね。
彫刻みたいな感じです。惚れ惚れします。


ccplus
で、イベントなのですが、僕も参加させていただいたのですが、本当に美しいイベントになりましたよね。
音楽とか映像とかダンスも質が高かったですし。感動しました。
来ていただいた方は、本当に満足していただけたのではないかと思いました。


dan
その時はお世話になりました。
本当に綺麗なイベントが出来たと思います。映像として残しているものも、ものすごく綺麗です。
やって良かったなと思います。
一緒に参加してくれたクリエイターの方々とも仲良くなりましたし、インフォーマルなクリエイションを議論したり発展したりするきっかけになった気がします。


ccplus
僕も今後、そうした場を発展させていきたいと思っています。
もっと、クリエイター同士や一般の方々が触れ合って、場を作ることが、これから大事になっていくのではないでしょうか?
Jリーグみたいなやり方が良いと思うのです。
地域があって、サポーターが居て、素晴らしいプレーがあって、夢があり、皆が楽しめる場を作りたいと思います。
ファッションでも、それが出来ると思うんです。


dan
そう思います。そうなると良いですね。

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ccplus
そしてRE CRYSTAL RINGが出てくるわけですが、このデザインのきっかけは何だったのですか?


dan
これも基本的なコンセプトではラバーバンドと同じです。
記憶の再結晶を行っています。

青山の SUSgalllery で行われたエキシビションはこのはブ ランドとして初めてのコレクションとなりました。

ブランドのオリジンに関わる様な展示にするという意味合いを持たせました。

その記憶に関してですが、 子供の時に氷砂糖舐めませんでしたか?

今でも祖母が果実酒を漬ける時に使用しているのですが、 ある時それを横から拝借して、食べながら眺めていた時の事です。

単純に美しいなと思いました。しかも何か心の奥をつかまれる様な強さも ありました。


氷砂糖は結晶なんですけど、結晶になる時の温度とか湿度によって様々なカタチに結晶化するんです。

様々なカタチになるんだけれども、そこには自然の秩序があって、美しいなと思ったんです。


ccplus
結晶って不思議ですよね。生物でも無いのに、勝手にカタチが形成されていくんですものね。
植物の細胞を顕微鏡で見たことがあるのですが、結晶の構造と非常に良く似ているんですね。
きっと、そこには何か共通の仕組みがあるんじゃないかと思います。


dan
植物の細胞も綺麗ですね。
自然に生まれてくる秩序みたいなものがあって、それは、完全に整っているわけでは無いのだけれど、どこか揺らぎながら整っていて、それがものすごく美しいんですよね。

で、RE CRYSTAL 『リクリスタル』ていう響きがとても気に入っていて、ブランドのコアコンセプトの一つでもあります。


氷砂糖のRE CRYSTAL RINGには、カタチを再結晶化するだけではなく、記憶の再結晶化とか体験の再結晶化っていう意味合いもあるのです。

そしてブランドとしては歴史や未来のイメージの再結晶化ということも含めて考え ています。


ccplus
再結晶化がコンセプトなのですね。
美しい響きが良いですね。
そして夢がありますね。

ファッションは、やはり夢がなくてはいけないと思います。

それでは、大変興味深い話が続いているのですが、長くなりましたので、次回に続きたいと思います。

次回は、DAN TOMIMATSUのこれからについてが、語られます。
お楽しみに!!


D A N T O M I M A T S U
http://www.dantomimatsu.com/

by guild-01 | 2012-01-11 19:17 | DAN TOMIMATSU

DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編

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DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編


dan
イタリアでの生活は、率直に言って失望から始まりました。
授業が歴史の話ばかりなんです。それが1ヶ月か2ヶ月続きました。


ccplus
失望ですか?でも、歴史は大切だと思いますよ。


dan
僕も今はそう思うのですが、当時は退屈だったんですね。
イタリアまで来て何をやってるんだろうと。。


ccplus
デザインの歴史の話は、どこからスタートするんですか?


dan
建築ではなく、デザイン、インダストリアルデザインとして、世界に名を知られるようになったのは、戦後からです。1930年代から息吹きのようなものはあったんですが。
フィアットとかオリベッティはここらへんから片鱗を見せ出します。1500とかMP1です。
ピニンファリーナも。


ccplus
オリベッティは、イタリアの企業なんですね。そういえば、グッチとのコラボのオリベッティのタイプライターを友人から貰って持ってます。フィアット1500は、よく映画で見るやつですね。
ピニンファリーナは、僕も大好きです。

ところで、イタリアというと、ファシズムのデザインや、後の共産主義的・社会主義的デザイン、そして所謂『未来派』という流れがあると思うのですが、それらは、どう関連しているのでしょう??


dan
ファシズムとデザイン(イタリア合理主義建築や未来派芸術)は一時的にしろ、大衆性と革新等の同じ夢を見ていました(ここらへんはとてもややこしいです。。)トリエンナーレもこの頃から始まりました。
ファシズムっていうのは、基本的に社会主義からスタートしているんです。


ccplus
そういえば、ナチスも社会主義ですね。名前が『国家社会主義労働者党』ですものね。。


dan
ナチスもデザインの面では、国家社会主義なので、すごく発達した部分もあったわけですよね。ポルシェとかワーゲン作ったりアウトバーン作ったり先進的でした。
ただ、他の面が良く無かったわけですけど。。


ccplus
国家で毒ガスやら兵器やら、様々開発して人殺しましたからね。
そういう運動は、自分達がやってることが正しいと思い込むところがやっかいです。
もっとも、ナチスやイタリアや日本だけでなく、共産主義のソ連や自由経済の連合国も、全く同じだったわけですよね。戦争って、そういうものです。そのあたりは、どういう思想だからどうだとか、ほとんど関係ないですよね。敵を作って殺し合うだけです。
話を続けてください。


dan
一方で、戦後貧しい時代には、ファシズムに対抗するレジスタントとしての共産主義や社会主義思想の浸透からのデザインが始まり、映画『自転車泥棒』にでてくるようなアイテム 自転車とポスターデザインは、やはり発達したと聞いています。秘密警察とかから逃げたり、プロパガンダ用のポスターを籠に入れたり出来たりと
生活必需品だったようです。

そのころのイタリアにはジオポンティ(DOMUSの創設者でもある)のような偉大な芸術家や、オリベッティのようなそれを形にする企業、発表する場所であるトリエンナーレや、それらをまとめあげるメディア『ドムス』が揃いつつありました。どこの國でもそうですが、これらの要素が揃わないと、大きなうねりを生む事は無い様な気がします。


ccplus
ファッションの世界で、マルタンマルジェラやアントワープ6などが盛り上がったのもまさにそれですよね。デザイナーの力だけじゃなくて、周辺が盛り上がった結果としてああなったわけですよね。
第二次大戦前のデザインは勉強しないのですか?


dan
授業としては戦後からはじまります。

戦後、焦土化した北イタリアに、住宅、生活用品を大量に規格化して制作する必要がありました。それを実現したのが、これらのデザイナーだったのです。
まず、皆が必要としている住宅をデザイナー達が提供したということがあります。
イタリアで、デザイナーが尊敬されているのは、これが理由な気もします。

そして、イタリアンデザインのモダニズムは、ここらへんから本格化しているように思います。
それまではあくまでクラフトマンシップにのっとた物作りでした。それが工業化されていきます。

で、イギリスの産業革命後の物作りにありがちな、美的ではない粗悪品が出回るようになります。
そこでおこなわれたQT8と呼ばれる都市計画もそうではないでしょうか。
当然ながらここらへんの建築家は社会主義思想の人が多いです。

そこから、それではまずいという人たちが出てきます。
内容は異なりますが、遅めのイタリアンアーツ&クラフト解釈のような運動が出て来ます。

そして手工芸に逆戻りするのではなく、工業製品の中にも美的な感覚を生み出して行きます。
ここらへんが一般的なイタリアンデザインの始まりではないでしょうか?

現在のフェラーリ等で有名なピニンファリーナが制作した車が象徴的です。
カーデザインがリードしていました。 同じ時期のヴェスパとかも綺麗です。

この波にのってスーパースターデザイナーが生まれてきます。
こういう勉強をしました


ccplus
イタリアも敗戦国なので、日本と同じで、焼け跡からモダンデザインが出てくるんですね、なるほど。。


dan
先生はまさにこの輝かしい時代を生で感じ取った人なんですけど、どこか郷愁にもにた感情を持ちながら語ります。「あぁ、良い時代だった」みたいな。

それ以降は50年代の黄金期以降、経済の悪化、学生運動やら労働運動等、不安定な社会に呼応するようにイタリアンデザインの抱える問題も表面化してきます。。。

疲弊した近代化からの脱却という意味で ここらへんから、ポストモダン的なデザインやアヴァンギャルドなデザイン、その後、反ポストモダンになりという表現だけをみるとややこしい世界になります。
そして低迷していきます。

故に、現在のイタリアンデザインについては、ほぼ語られる事はありませんでしたね。
デザインも堅実な物が多い様な気がします。
つい最近は何かもう少しポストなになに的な浮かれた感じがしますが、何なのかはわかりません。。

状況も変わっています。

イタリアンデザインの華やかさの象徴であるデパート『リナシェンテ』が買収される時代です。
たしか伊勢丹かタイの会社が持ってるはずですが。。。

もうイタリアンデザインというものはスタイルとしてはありますが、大衆の生活にも美を、という姿勢は薄れて来ていますね。ALLESI 高いですし笑
生え抜きではなく外国人デザイナーがディレクターとしてもてはやされる事も多いですしね。。

一方では、外国人にも平等にチャンスが与えられているという意味で懐は深いとも言えますが。


ccplus
イタリアは歴史がローマ時代から連綿とありますからね。
歴史が連続して積み重なっているので、現代のデザインが出てくるチャンスが少ないかもしれません。
トスカナ地方にあるシエナとか、本当に美しいですものね。街が。広場の傾斜の角度とか半端無く美しく完璧です。あれだけ完璧にデザインされた街に付け加えるものは無いんじゃないかと思って
しまいますよね。
日本は、その点、ダイナミックに変わっているので、現代のデザインが出てきやすい
ということもあるかもしれません。


dan
だから、デザインは、ほとんどミラノで発展していったようです。
ミラノは大戦でかなりの部分が焼け落ちてしまってますから。
ローマとかは、そういうのが無いですからね。


ccplus
日本もそうですよね。
やはり、復興とデザインというのがポイントになるかもしれません。
敗戦国のデザインと戦勝国のデザインの違いみたいなものを体系化して調べていったら、もしかすると、ものすごく面白いかもしれませんね。

でも、たとえば、イタリアでいえば、第二次大戦後の街は、体系的に建てられていき、日本の街は無秩序になっていったわけですよね。
それはなぜなんだろうと思いますが。


dan
domusでは、デザイナーを育てるというよりも『プロジェクティスタ』を育てようとしていました。
デザインというのは、『手技』で、デッサンに近い意味なんですけど、
『プロジェクティスタ』っていうのは、『プロジェクトを統括する人』という位置づけになるのです。

この『プロジェクトを統括する人』っていうのが、デザイナーという職業で、イタリアでは、ものすごく尊敬される立場なんです。

この『プロジェクティスタ』は、計画を立案して実行するのを統括する立場なので、資金も動かしますし、政治にも関わるわけです。
イタリアのデザイナーというのは、日本でいうデザイナーとかなり違うと思います。

喩えていうと、ミケランジェロとかレオナルド・ダ・ヴィンチみたいなものですね。
超人みたいな感じです。

ccplus
それは、メディチ家の時代から延々と続いているのでしょうね。
日本の場合は、『プロジェクティスタ』みたいな人が、ほとんど居ないんですね。
だからこういう状況になっているんだと思います。


dan
出る杭は打たれますますからね。日本は。。


ccplus
そうですね。苦笑
イタリアでは、どうやって『プロジェクティスタ』を育てているのですか??


dan
そうですね。産学協同というか、DOMUSは、在学中から企業の仕事を学生達が受けるんです。
プロジェクトチームを作って、企業から依頼されたデザインを行う。
プロジェクトリーダーはプロの人が一人入っているのですが、実質的にその人はほとんど何もしなくて、生徒達が、企業の要望に答えてやり取り出来るんです。
ヴーヴグリコとかモエエシャンドンのボトルデザインとかスワロフスキーのガラスデザインなんかもやりました。一流企業といきなり仕事が出来るのです。
もちろん、そのデザインが採用されることもありますし、採用されないこともあるのですが、企業はリサーチも兼ねているので、採用されなくてもリサーチ料が支払われる場合もあります。

DOMUSでは基本的に大広間にテーブル、それと小さなワークショップしかありませんでした。
全てのジャンル(建築、ファッション、プロダクト、インテリア)の研究生が、大広間にて入り乱れて勉強します。 各々のクラスの学生が何をしているのかが分かります。
そしてそこでは意見交換や、共同のプロジェクトが生まれたりします。

縦割りの授業体制ではなく、デザインというくくりの中で、クラス全体が関係出来ます。

校長は言いました。

「DOMUSはカクテルシェーカーのようなもの。箱でしかない。あとは、あなた達の化学反応なのだ」と。
生活空間全てを統括して設計して行くイタリアンデザインの特徴が現れています


ccplus
それは素晴らしい制度ですね!
日本もどんどんやってもらいたいですね。

dan
本当にそう思います。
向こうの企業の責任者と直接やり取りが出来るので、コネも出来ますし、やり方も憶えてるので、DOMUSを出た人は、まず、就職するのではなく、デザイナーとして直接企業とやり取りしようとします。
ほとんどの人が、そうしますね。


ccplus
暖さんは、人に会う行動力が凄いなあと思って見てたのですが、基本的に会いたいと思っている人、見てもらいたい人に直接話をもっていきますよね?

dan
基本的に、こちらが会いたい人に直接持っていけば良いと思うんです。
欧州だと、権限を持った人に話を持って行くと、すんなり話が決まります。


たとえば、こちらが作品を見せるために欧州の大企業のデザインを統括している
立場の人に会いたいと言うと、取り次いでくれる人が居るのですが、
ミラノサローネのどこどこに何時という感じで、担当の人が作品を見てくれたりします。

そこでは、誰が持って来たかより、何を持って来ていて、それがどのように企業に貢献する材料なのかを見定めようとします。

そして、その立場の人が、美についてきちんと理解してくれているんです。
デザインとかアートに対して、きちんと勉強していて、見る眼も肥えていて、きちんと判断してくれるのです。それは、デザイナーとして、とてもやりやすいです。

まあ、そこから製品化となると、道のりは厳しいのですが。


一方、日本のある大企業にもアポイントを取ったのですが、担当の人は、作品も見ずに、「経歴書とポートフォリオありますか?」と聞かれました。そこに作品を持参しているのにです。

目の前にある作品やアイデアではなく、履歴書の方が大事みたいなんです。


ccplus
そうなんですよね、そこが大問題なんですね。日本では、作品そもものよりカタログや資料と言われますし。。広告代理店やメディアとタイアップして露出した仕事をしてるから採用とかそんな感じでしょう?
もしくは、こういうのが流行ってるんですとコーディネーター的な人に言われて、みたいな。

向こうは話が早いですよね。
日本だと、まず持ち帰って会議にかけると言われてしまいますが。。


dan
それが面倒なので、現在でもイタリアを発表の場に選んでいるということはあります。
イタリアで学んだことは、とりあえず皆、自分の力で生きていくことを考えるし、実際自分の力で生きていくことが出来る。それをデザイナーが皆実践してるということです。

DOMUSでは、デザイナーが集まるサロンのようなカフェがあるんです。そこに行くと色々なプロジェクトが進行している。そして、欧州のどこの展示会場に行っても、やっぱりそういう仲間達が居る。

そういう環境に皆が居るんです。

それは、とても大きいと思います。
仕事がしやすいですし。


向こうは、いろいろなパーティーとかカフェとか、そういうところで、仕事の話が進んでいく場合が多いです。


ccplus
日本だと、会社の仕事が忙し過ぎたり、会社の後の時間が、愚痴を言う場だったりしますからね。そういう非公式的でクリエイティブ場がなかなか無いですからね。


dan
もっとそういう場が必要だと思います。
それに、日本は、とりあえず就職するじゃないですか?企業の傘下のデザイナーになろうとする。

ccplus
日本のデザイナーって、ほとんどが下請けみたいな感じになってしまっているんですよね。
やたらデザイナーがいっぱい居たりして。


dan
少なくとも、イタリアでは、デザイナーは、人々から尊敬されます。
デザイナーは、尊敬される職業なんです。
私がデザイナーです。と言うと、工場の人やスタッフの人は、必ず一目置いてくれますね。
街の人の理解も違います。


ccplus
日本もそうなってほしいです。
それには、美とかデザインの根本を理解して他人に伝える説得力がないとダメですよね。
それと、クライアントが理解してくれないとダメだし。。向こうは、それがあるんですよね。
その辺りが難しいところではありますが。。

イタリアで一番学んだのは何ですか?


dan
欧州で一番学んだのは、プレゼンテーション力もありますけど、社交力ですね。


ccplus
暖さんは、交友範囲の広さとか友達の多さに驚かされるのですが、昔から社交的だったのですか?
それとも、欧州に行ってから??


dan
昔からな気がします。
人とコミュニケーションすることが好きなんです。コミュニケーションするためにデザインしているといっても良いくらいなんです。


ccplus
ミラノサローネに出展されているそうですが、ミラノサローネについて、聞かせていただけませんか??


dan
ミラノでは、ミラノサローネという大規模なデザインイベントがあって、そこで出展させていただいているのですが、そのイベントをやっている時は、街中がお祭り騒ぎなんです。
デザインそのものを祝福してるような感じです。街のあちこちで様々なイベントが開かれています。

ミラノサローネの外側ではfuoriサローネという、ミラノサローネには入りきれなくなった若手のデザイナー達がシャッターの下りた商店とかをその時だけ借りて展示していたりします。その雰囲気が好きなんです。

そして、fuoriサローネがマンネリ化してくると、更にその外側でfuori fuoriサローネっていうイベントをやっていたりします。
どんどん面白いことをやろうとしている人達が更新されていくのです。


ccplus
なるほど、パリコレの時にマレの外側からオベルカンフとかの周縁で若手が発表しているのと同じですね。


dan
そうですね、そういうことを日本でもやっていきたいという風に思います。


ccplus
是非やってください。協力しますので!


dan
2009年にイタリアの大学院domusは卒業したのですが、そういうこともあって、日本に帰ろうと思いました。
でも、発表は欧州でもやろうと思ったのです。


第三部帰国編につづく

by guild-01 | 2011-12-11 18:22 | DAN TOMIMATSU

クリエイター・インタビュー第一回 DAN TOMIMATSU 富松暖

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クリエイター・インタビュー第一回は、DAN TOMIMATSU

デザイナーのインタビューを始めようと思った時、第一回は、富松暖氏にしようと思った。

なぜ富松暖氏にしようと思ったのか?というと、プロダクトデザインの立場からファッションを見ることが出来ると思ったからだ。

現在、ファッションの世界は、大きな問題を抱え込んでいるように見える。

この状況を突破する為に、まず、ファッション100%では無い人の話から始めたいと思う。
ファッションを別の角度で見てみる必要があると思うのだ。

インタビューは、かれこれ10時間以上行われており、現在なお継続中である。
そして、現在、まとめ中だ。
それなので、数回に分けたロングインタビューになります。

このインタビューは、これからのデザインに、一筋の光を見いだすことが出来れば良いなという風に思います。


以下本文



富松暖 以下dan
インタビュイー:contemporary creation+ 以下ccplus

ccplus
本日は、ありがとうございます。
えーと、まず、暖さんは、たしかお父さんが彫刻家で、お母さんがテキスタイル・デザイナーなんですよね?
そういう家庭で育つと、なんか服のデザイナーになりそうだなという気がするのですが、ファッションデザイナーになる気は無かったのですか?

dan
こちらこそ、ありがとうございます。
実は、卒業制作は服だったのです。
なので、今でもファッションへの憧れはあります。

父が木で彫刻を作っているんですよ。それで、木材調達のために東京から奈良へ引っ越したのです。
「子供は大自然の中で育つべき」という父の教育方針もありました。

ボーイスカウトとか、カヌーをやらされたりとかしたのですが、嫌で、引きこもっていました。笑
それでも、モトクロスをやらされて、あげく大怪我をして、余計に引きこもりになりました。
奈良の田舎で、『ファッション通信』を見るのが楽しみな、そんな子供でした。

ccplus
奈良にはいつからいつまで居たのですか?

dan
小学生から中学生までです。
母は東京の人だったので、田舎の生活に戸惑っていたのですが、テキスタイルデザイナーなので、草木染めに転向しました。
それで、野山で草木を採集してストールとか布を染め上げて作品を作り、発表は東京なので、たまに東京へ行くという暮らしをしていました。

ccplus
暖さんは作風が都会的ですけど、意外と自然の中で育っていて、しかもルーツがものすごく自然なのですね。
そういえば、いろいろな作品やロゴとかの表現に自然の秩序の移し替えみたいな、そういうものを常に観察していた人じゃないと出来ないような、本質的な美しさを感じます

dan
ありがとうございます。
自分では、全然気付かないのですが、もしかしたらそうなのかもしれません。
父の教育のおかげだったのかもしれません。

ccplus
高校からはどうされたのですか?

dan
高校は大阪の高校に行きました。
奈良から40分くらいで大阪に行けるのです。
大阪は美術の予備校もあったので。
京都市立芸術大学を目指して勉強していたんです。
ところが、母が病気で倒れまして、東京にしか病院が無いということで、東京に戻ってきました。

ccplus
お母様はどうされたのですか?

dan
亡くなりました。
癌だったのです。
ものすごくショックを受けました。
父などは、名前を変えました。
母の名前がルミというのですが、父は、ミキオで、母の名前のルミを自分の名前の中に入れてルミキという名前に本当に変えたのです。
母が死んでから、ずっと毎日母の分もご飯を必ず作っています。

ccplus
奥さんの名前と自分の名前を一体化するっていうのは初めて聞きました。よほど愛していらしたのでしょうね。

dan
そうですね、でも逆に心配になります。再婚した方が良いのではないか?とか。


(その後のDAN TOMIMATSUの作品は、彼のお母さんが亡くなったことに対する影響が色濃く見てとれるようになる。失われた幸福への回帰や、現在あるものの永続性に対する願望などが、作品になって繰り返し現れてくる。もちろん、それが彼の作品の魅力になっていることは間違いないと思う。編集注)

ccplus
卒業制作は服だったんですね。
たしか出身は、多摩美の造形ですよね?

dan
そうです。多摩美術大学の造形表現学部というところです。
その前に立美って立川美術学校という予備校に行ってました。
ほとんど勉強しなくて、いつもカフェとかでうろうろしてました。
落ちこぼれだったんです。

ccplus
落ちこぼれだったとは、現在のコンセプチュアルで頭良さそうなデザインからは想像出来ませんね。
なぜ落ちこぼれだったんですか?

dan
いつもデッサンばかりやっていて、意味が分らなかったんです。デザインを勉強しに来てるのに、なぜデッサンばかりなのか?それが分らなかったんです。
現在は、分るんですけど。
デッサンは、ものの見方を養うために必要なんです。
じっとものを見て、描いていると、ディテールとか陰影とか色々なものに気付くのです。
それをやった人とやらなかった人は、デザインが全く違うようになると思います。
今では、やって良かったなという風に思います。

ccplus
デザイナーとかアーティストもそうですけど、『人が見えないものが見えてくる能力』っていうのが必要ですよね。どれだけ見えてくるのかが重要だと思います。

ファッションデザイナーになろうとは思わなかったのですか?

dan
高校生の頃はファッション大好きでしたので、考えました。
でも、ファションをやるとしても、直ぐにファッションの専門学校に行くというのがピンと来なくて、まずデザインの勉強をしようと思ったんです。
デザインとは何なのか?を学ばないといけないと思いました。

多摩美では、デザインとはコミュニケーションだということを しきりに言われました。

ccplus
うちの店もcontemporary creation+communication development 現代の創造とコミュニケーションの発展 という名前が付いてまして、まさにそれです 笑

dan
もう一つは、デザインの歴史とか基礎みたいなものを学びたかったということがあります。
プロダクトデザインは、産業革命があって、アーツ&クラフト運動があって、バウハウスがあってという流れが基礎にありますよね。

ccplus
ファッションの世界は、それがなかなか見えて来ないですよね。
ココ・シャネルやイヴ・サンローランについて語る人は居ても、産業革命について語る人は、ほとんど聞いたことがありません。
ファッションこそが産業革命を作ったのにです。
これは、大変おかしいという風に思います。

dan
僕もその辺りを考えたかったんです。

ccplus
産業革命が起こしたファッションへの渇望が、女工哀史のような、劣悪な労働環境を産み出したわけですし、それが、手仕事による、用の美をもたらすアーツ&クラフツ運動を産み出したわけですよね。
この辺、話し出すと長くなりますので、ここは端折りますが。。
それで、どうしたんですか?

dan
多摩美の3年生の時に、服を卒業制作で作ろうと決めて、多摩美に行きながら伊藤衣服研究所というところに服を勉強しに行きました。

ccplus
ファッションの勉強もしているんですね。
卒業制作は、どういうものを作ったんですか?

dan
『ポートレート・クローズ=肖像服』っていうタイトルで、人の身体を石膏で型取りして、カタチを作りました。

プロダクトデザインを勉強していたので、プロダクトデザインって、『問題解決』だという風に多摩美では言われていたんですよ。
後にイタリアに行って、必ずしもそういうアプローチだけでは無いことに気付くのですけど、当時はそういう風に思っていました。

問題を解決するために、取手の部分のカタチがどうなるとか、そういう風に出来ていくのです。
それを服に当てはめてみたのです。

では、そもそも服とは何なのか?
なんで、人間はこんなに体毛が薄いのか?
それは、毛皮を着ていたからに違い無い。
毛皮を着ていたから、結果的に体毛が薄くなって、服を着ざるを得なくなった。
結果的に服が必需品になっていったと思うんです。

それから、社会的な地位とかシンボルとか色々なものが付加されるわけですけど、基本はそうですよね。

もう一つ、毛皮を着なかった人達が居て、その人達の服って『入れ墨』になっていくんです。服が必要無くって、呪術的な意味が残っていったんです。
物理的には毛皮で精神的には入れ墨なのかなと。

ccplus
そうですよね。あと、アフリカとかの人は、日射しを避けるために赤土を皮膚に塗ったりしますよね。物理的には、赤土系と毛皮系が居たと思います。
赤土系の人達が入れ墨になっていったんじゃないか?
あと、狩猟系の人達は、狩った獣の毛皮を着ることで擬態し、獲物を獲得することが出来たり、洪水や津波みたいな災害にあった時に、毛皮を着てた人達だけが生き残って、毛が薄い人達ばかりになっていったのではないかと思います。
あと、海に潜った人も居たはずですが。。(余談)

dan
そう思います。
それが段々社会的なイメージの操作の対象になっていったというか
イメージを取り替えるための服になっていった。

では、破壊されないイメージとしての服って何んだろうと思ったんです。

服のイメージってあるじゃないですか。あれはシルエットだと思うんです。
で、服を機能として突き詰めていくと、義肢になっていくと思うのです。
義肢って義手とか義足とかの義肢です。

人間の身体の一部としての服が義肢です。
それで、義肢としての服を作りました。

石膏で型取りした腕の部分をシャツと組み合わせて、その人自体のシルエット=イメージをシャツに反映されるという作品でした。

それで、人間には、誰かになりたいという願望があると思うんです。
身の回りに居る人の誰かになってみたいというようなイメージ、手本とする人に憧れるみたいな。

それと同時に、人間には、欠損したものを補う役割として衣服があると思うんです。
それは、毛皮を着ていたから体毛が薄くなっていて、逆に寒くなったら、服が必要みたいな、物理的な欠損を補う部分と、理想的なイメージの自分に到達するために、自分に足りない部分を服に求める精神的な欠損を補う部分があるように思えます。

呪術的な部分ですよね。
それを誰かのイメージ=義肢を着ることで表現しようとしました。

これは、アンチモード=プロダクトデザインの領域から服を考えたのですが、ただ、人間のどの部分を反映させるのか?自分が選んでいる時点で、やはり、イメージを選んでいる=モードになってしまったなという風に思いました。

ccplus
ほとんどコンセプチュアルアートの世界ですね。
元々、衣服の誕生は、狩った獲物の毛皮を身に纏って狩猟をしたことなんですね。『違う何かに変身したいという願望』は、ですから、人間が根源的に持っている、人間が人間である、そして衣服が衣服である根源の部分だという風に思います。

卒業してから直ぐイタリアへ行ったんですか?

dan
いいえ、イタリアの大学も試験が英語なんです。それでまず、イギリスのブリストルというところの語学学校に行きました。
1年くらい居ました。
イギリスのRCAかセントマーティンか、イタリアのDOMUSを受けようと思って。
最初にDOMUSアカデミーに受かってしまったので、イタリアに行くことにしました。
キャロル・クリスチャン・ポエルっていうファッションデザイナーが好きだったんです。彼がDOMUSだったので。
実は、キャロル・クリスチャン・ポエルのアトリエの数件隣りに住んでました。DOMUSの直ぐ近くなんです。

ccplus
僕もキャロルのコート愛用してますので、羨ましいですね。
ところで、イギリスでの生活では何かを得ましたか?

dan
イギリスは試験勉強していたので、あまり得るものは無かったです。
奴隷の部屋に住んでいたんです。地下にあるんですけど、だだ広くて。

ccplus
やはり、イギリスはそうなんですか?

dan
イギリス全部がそうというわけではなくって、たまたま住んでいたところがそうだったのかもしれませんけど。

ブリストルは奴隷貿易で栄えた街だったというのがあります。

ホワイトレディスロードとか
ブラックボーイストリートとか、
奴隷記念館とかもありました。

奴隷の部屋は地下と屋上と責められた時、家事の時にもっとも逃げづらい部屋に決まっていました。

ccplus

そうなんですね。
そういう時代があったのですね。

今現在の話だと、アントワープとかだと、気に入られると、どこでも500ユーロで貸してくれるらしいですけどね。アーティスト支援で。
ビル一棟借りて500ユーロっていう話も聞きました。
では、イタリアの話を聞きましょうか。


つづく
次回 第二部 イタリア編 (大変面白いですので、お楽しみに!)

by guild-01 | 2011-11-26 22:12 | DAN TOMIMATSU

proefのManami Saitoのchange fashionによるインタビュー

proefのManami Saitoのchange fashionによるインタビューが掲載されています。
面白いので是非読んでみてください。

特にファッションデザインやってる人に読んでほしいです。

proef 斉藤 愛美 ~プロダクトデザインとファッション~1/3

http://changefashion.net/interview/2011/10/21190115.html

proef 斉藤 愛美 ~プロダクトデザインとファッション~2/3
http://changefashion.net/interview/2011/10/24192300.html

proef 斉藤 愛美 ~プロダクトデザインとファッション~ 3/3
http://changefashion.net/interview/2011/10/26193356.html


change fashionは、すごく良い仕事をしているので、当ブログもリスペクトしております。

ちなみに、当ブログもクリエイターへのインタビューを始めておりまして、近々アップする予定です。


管理人がproefにインタビューすると、五十嵐氏へのサッカーインタビューになるかもしれませんが。。(笑)
五十嵐氏は、元アルビレックス新潟ユースのFWだったのです。
ノヴァーラの森本みたいな一瞬のスピードと相手を背負ったターンからのシュートを得意にする選手だったそうです。(
日本サッカーに必要なタイプの選手ですね=日本人の特徴は30mまでのスピードにあります(まめ知識)

by guild-01 | 2011-10-25 18:29 | proef