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モナリザを巡る冒険 その3 『モナリザ』とは何だったのか??

モナリザを巡る冒険 その1 モナリザは本物か??
http://guild3.exblog.jp/15749199/

モナリザを巡る冒険 その2 『聖アンナと聖母子』のカルトン
http://guild3.exblog.jp/15768372/

のつづき

モナリザを巡る冒険 その3 『モナリザ』とは何だったのか??
http://guild3.exblog.jp/15811280/




ここで、もう一回、レオナルドが残した絵画における革新の達成について見ていきたいと思います。

まず、
受胎告知』1472-1475です。

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この絵では、全てをレオナルドが描いたのでは無いとされているようですが、それでもレオナルドの真作とするに相応しい全体の構図、後景と全景の関係、”しぐさ”がもたらす不思議な緊張感、意味などが達成されてると思います。


次に『聖ヒエロニムス』1480-1482です。

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ここでは、”未完成”による荒々しい美しさと、”未完成”ゆえの、”題材の本質的な表現”が達成されているように思えます。


そして、
『チェチリア ガッレラーニの肖像』(別名”白貂を抱く貴婦人”)1490

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ここでは、肖像画(単独)における、最高の構図や色、表情、美などが達成されているようです。

さらに、
『最後の晩餐』1495-1498

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では、群像劇における最高の構図と、配置がもたらす意味、緊張感、劇場性、物語性、さらには、”低い位置から高い位置にある絵を見上げた時に、視覚的におかしくない構図”という、極端に高度な技術的達成があります。

この絵が、ぼろぼろでほとんど判別不能だったにも関わらず、レオナルドの最高傑作であると主張されている要因です。

この時点で、おそらくレオナルドは、ルネッサンス絵画というものを完成させたと言っても、言い過ぎではないでしょう。

しかし、完成させて、さらにその先の革新を成し遂げてしまうところが、天才レオナルドのスゴいところです。



前にも書いたように、
『聖アンナと聖母子』のカルトン1499


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において、レオナルドはルネッサンス絵画における最高の構図と、スフマート(ぼかし)技術を完成させています。

しぐさ、表情、ぼかし、構図、未完成さ。。
それは絵画の一つの到達点だったと思います。


最高の到達点にたどり着いたものは、ものごとを解体し、新たな芸術に向き合わざるを得ないようになります。

それは、ものごとを真剣に追い求める”真の芸術家”にとっての宿命なのだと思います。

そして、
『モナリザ』1503-1506


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があるのです。



ここまで考えてきて、ようやくこの辺で話の全体がつかめてきたのではないか?と思うのです。
そして、現在、僕はこう考えています。

ようするに、『モナリザ』は、いわゆる最高傑作ではないのではないか?
ということですね。
けれど、それがあらぬ誤解を受け、最高傑作だと信じられるようになった。
しかし、それが通常信じられているような最高傑作ではないが故に、様々な謎を呼び、憶測を呼び、解釈を呼び、そういう様々な事柄が、結果としてこの絵を世の中の”最高傑作”にしているのではないか?ということなのです。


私達は最高のものを最高だということに、いくらか抵抗があります。
最高のものは常に妬みや嫉妬や反抗を産みだすのです。
それらによって、権威づけは否定されます。
すなわち、それは『万人にとって最高のもの』では無くなってしまうようなのです。
つまり、最高の作品とは常に最高の作品とは成り得ないということです。
これが『評価』というものの一番本質的なことなのかもしれません。


けれど、”誰にとっても最高のものとも、そもそも思えないもの”が、『最高の作品』であると信じられたならば、むしろそれは妬みも嫉妬も産まず、『謎』を呼び、それが何故最高傑作なのか?どこが素晴らしいのか?一体全体何なのだ??という『好奇心』を産み出すのではないでしょうか。


そして、その、『これはいったい何なのだろう?という好奇心』こそが、レオナルドが残した『最高傑作』つまり『モナリザ』なのではなかろうか?
というのが、当ブログのたどり着いた仮説なのです。



おそらく、レオナルドは、絵画の最高の到達点の先に、『モナリザ』を置いています。
そして、その絵を後生大事に離さなかったと言われています。
しかも、”ほんもの”は隠し、美術評論家には別の絵を見せているのです。

そして、手元の『モナリザ』には、様々な”仕掛け”を組み込んでいきます。

万能の芸術家、レオナルド、彼ならば、それくらいのことはやりかねないのではないでしょうか?
なぜならば、レオナルドが体現した”ルネッサンス”という活動は、人が、神の権威よりも、『ありのままを見たい知りたいという好奇心が引き起こした出来事』だったからなのです。



ここまで、”モナリザの謎”を巡って、思索の旅をしてきました。
それは、とても面白く、考えさせられ、わくわくするような楽しい旅だったと思います。
そして、その僕等が辿った”好奇心”こそが、レオナルドが達成した芸術の一つの頂点だったのかもしれない、と、今では思えるようになりました。

こう考えていくと、モナリザの微笑みが何を意味するのか?が変わって見えるかもしれません。


text february2005



モナリザを巡る冒険 その1 モナリザは本物か??
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by guild-01 | 2013-12-28 23:12 | ART

モナリザを巡る冒険 その2 『聖アンナと聖母子』のカルトン

モナリザを巡る冒険 その1 モナリザは本物か??
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の続きです。


それでは、ここでもう一度じっくり『モナリザ』を見てもらいたい。

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あなたは、これをどう感じるだろうか?


人が美を評価する時、主に2通りの評価方法があるといわれている。
すなわち、個人的な評価と、他人がどう評価するだろうか?という人気投票的な評価だ。

前者の個人的な評価では、とんでもないものを美だとする人も、まあ多少居るだろう。人の評価はそれぞれだからだ。

けれど、後者の人気投票的な評価が、自分達の予想と著しく外れることは、かなり少ないのではないだろうか?

たとえば、木村拓哉とかベッカムとかは、個人的な好き嫌いはともかくとして、人気投票で選べば、必ず上位にくるだろうことは自明なことだ。
これは、必ずしも日本人だから選ぶということでもなく、世界の様々な国でやっても、どういうわけか、ほとんど同じみたいである。

どうやら、私達の美意識には、かなり普遍的なものがありそうだ。


そういった本質を考えてから、再び『モナリザ』について評価してみてほしいのです。

これは、本当に、世界最高の名画なのか?と。
もし『モナリザ』が世界最高の名画だということを私達が知らなかったとして、人気投票で、この絵を1位に推す人が、果たしてどれくらい存在するだろうか??


どうですか??
あまり居ない、というか、ほとんど居ないとは思いませんか??
個人的な好き嫌いは別としてですよ、人気投票的に考えて。。




レンブラントは、自画像をしつこいくらい複数枚書いている。
これは彼がナルシストだったためではなく(笑)自画像がよく売れたためだと考えられている。
したがって同じような絵が何枚も存在するし、彼は工房の主催者だったので、弟子と共に制作しているから、それが真作なのか贋作なのか?の判断はとても難しい。




一時期、オランダの研究チームがレンブラントの真作か贋作か?を見分けるプロジェクトを実行したことがあるのだが、当時、大上段に真作や贋作を分けていたものだが、今やその根拠は揺らぎだし、再調査が行われているとのことである。
科学を簡単に信用してはいけない。


これは、服のデザイナーが自分で服を縫っているわけではないにも関わらず、それがデザイナーの作品に帰属されるのとよく似ている問題なのだと思うのですね。
そんなこと科学的に判断出来ますか??
レンブラントの工房で作ったものはレンブラントなのです。
ただ、その中には傑作と駄作があり、駄作の方はブランドイメージを保つためにサインを入れなかったということはあるかもしれない。

関連ページhttp://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/daily/content/200312160001/



レオナルドも、いくつかの絵を複数枚描いている。
例えば『受胎告知』
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や『岩窟の聖母』
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だ。


彼の場合は、沢山作って売るためというよりも、絵の制作過程の中に真理を見いだすために複数枚書いていて、その出来が良かったもの(あるいは、一番出来がよかったのは手元に残していた可能性もある)を顧客に提供していたのだと考えられる。
つまり、同時並行的に、何枚か絵を描いていくという手法を彼はとっていたのではないか?ということですね。


で、これも前から思っていたのだが、正直な話、僕が見た時の『最後の晩餐』は、修復途中だったため、よくわからなかった。(今でもよくわからないみたいですが)





そして、前にも述べたとおり、『モナリザ』は防弾ガラスに覆われているためによく分らない。


このように、自分の目で実際に見て、レオナルドの最高傑作と呼ばれている二点が、よくわからなかったのだが、それでも、彼の絵がとてつもなくスゴいと思ったのは、ロンドンナショナルギャラリーにある『聖アンナと聖母子』のカルトン(下絵)を見たためである。


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この絵は、ごく個人的な評価でいうと、今まで見た絵の中でもっとも素晴らしいと思った絵の一つなのだった。


どこがスゴいのか?というと、それは実際に見てもらうしかない(笑)のだが、それはそれとして、この絵、どう考えても、下絵にしては出来過ぎている。

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油絵の制作の為の下絵にするならば、こんなに鉛白による細かい陰影やぼかしなど必要ないのだ。
にも関わらず、この絵が、これほどまでに素晴らしく仕上がっている(とはいえ、レオナルドの他の作品に見られるように、この作品もまた細部は未完であるのだが)のは、この下絵があまりにも素晴らしくなってきてしまったので、注文を忘れて彼なりのやり方で仕上げてしまった為だと思う。
そして、もちろん彼はこの作品は手放さなかった。


そして注文には別の『聖アンナと聖母子』で応えたのだと思う。

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そして、この油絵の『聖アンナと聖母子』は、もちろん素晴らしい絵画ではあるのだけれども
そこにはカルトンの『聖アンナと聖母子』にあった崇高な何か、神の領域に届こうとする何か、つまるところ、芸術を芸術たらしめんとしようとしている何かは、あらかた抜け落ちてしまっているように思えるのですね。


その何かは、真理なるものを制作し発見していく過程でしか獲得できないものなのではないか?そして、この場合、それは下絵の段階で獲得されてしまっているみたいなのです。


この『聖アンナと聖母子』のカルトンが、正当に評価されていない(モナリザや最後の晩餐なみの評価を受けていない)のは、それが『下絵』に見えることと、それが『未完成』に見えるからだと思われます。


これが、下絵なんだ、完成品じゃないんだ、という思い込みが、この絵を通常の絵としての評価対象から外してしまっているのでしょう。

しかし、この絵を真剣に見たことがある人ならば(正に僕がそうなのですが、絵の前に1時間近く居て、しつこく眺め続けました。そして、もしロンドンに住んでいたら、毎日眺めにくるだろうと思いました。ロンドンナショナルギャラリーは入場料無料なのです。)この絵が、彼の最高傑作であることは分ると思うのです。

僕は何の権威もないですし、絵の専門家でもありません。しかし、あえて言い切らせてもらいますが、レオナルドは、『聖アンナと聖母子』のカルトンをここで完成させています。
これ以上でもこれ以下でもなく、この時点でです。
ちゃんと見れば解ると思うのです。


レオナルドは、類いまれな好奇心と知識と技術があったために、ものごとを中途半端に終わらせている例が沢山あるのですが、この絵においては、中途半端に終わらせたわけでは無く、ここで筆を置くのが一番効果的だと判断したのだと思えるのです。

それほど、この絵は絵画として完璧なのです。


レオナルドは、優れた作品を作るのにおいて、”作品を完成させ過ぎないこと”の重要性を理解していた数少ない画家の一人なのだと思います。


完成させないで得られる効果よりも、完成させてしまうことで生じる不都合が上回るのであれば、そこで止める。
これは芸術家にとっても、何の仕事をする人にとっても、ものすごく難しいことです。


そしてそれは、一般の人には、とても理解されにくいことなのですが、例えばヴェロニクブランキーノのスカートがとてつもなく美しいのは、完璧な素材のウールを使って完璧なカッティングとテクニックを使って制作していながら、細部を切りっぱなしのまま放っておく、という”未完成さ”を残している点にあるのですね。
”未完成”ゆえに最高に美しいのです。


これは、ものごとの”本質だ”と思います。


『聖アンナと聖母子』のカルトンにおいて、レオナルドはルネッサンス絵画における最高の構図(それは油絵の『聖アンナと聖母子』に見ることが出来ます)を完成させました。

さらに、『モナリザ』や『洗礼者ヨハネ』において達成されたとされている、スフマート(ぼかし)技術をも完璧に使いこなしています。

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レオナルドの絵画を巡る試行錯誤とその到達は、疑いようも無く、『聖アンナと聖母子』のカルトンにおいて達成されていると思います。
それが達成されたからこそ、レオナルドはそこで筆を置いたのでしょう。


では、モナリザとは何でしょうか?
もちろん、『聖アンナと聖母子』のカルトンにおいて達成したスフマートの技術や構図を油絵において達成しようとしたもの、と、捉えることは可能です。

しかし、それは油絵の『聖アンナと聖母子』でも同じです。


では、なぜ、『モナリザ』だけがレオナルドの最高傑作と言われるのでしょうか??

『聖アンナと聖母子』のカルトンにおいて、絵画による技術革新を達成した後に、『モナリザ』においてレオナルドが達成した革新とは何なのか??


つづきます



モナリザを巡る冒険 その1 モナリザは本物か??
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モナリザを巡る冒険 その2 『聖アンナと聖母子』のカルトン
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モナリザを巡る冒険 その3 『モナリザ』とは何だったのか??
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by guild-01 | 2013-12-28 17:16 | ART

モナリザを巡る冒険 その1 モナリザは本物か??

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この記事は2005年に書かれたものです。


年末短期集中連載読み物


モナリザは本物か??
そんな疑問から始まった探求の顛末。


古本屋でアート関連の棚を眺めていたら、『モナリザへの旅』という本が目に留まった。

ぱらぱらページをめくると。。。
この本は興味津々なのだった。

で、買うことにする。


『モナリザ』がルーブル美術館から盗難にあったのは有名な話(1911年)なのだが、(その時に、良く出来た贋作にすり替えられたのではないか?という疑惑は、よく噂されるところだ=しかも御丁寧にガラスケースの中に入っているので、本物かどうか?判別不能 笑)モナリザの真作が複数存在するという話は初耳だった。

そう言われてみると、たしかにプラド美術館にはモナリザに良く似た作者不詳の模写が飾ってあったのを思い出した。

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で、その時は、単純に”似てないな”と思った(笑)に過ぎなかったわけだけれども、モナリザが複数制作されていたという視点から捉えると、この”似ていない”という印象は、全く別の意味を帯びることになる。
よく考えると、この絵は下手じゃないにも関わらず、”似てない”のである。

ということは、つまり、この絵は、"別の「モナリザ」"を模写したものではないか?ということが考えられるのだった。



おそらく世界で一番有名な美術史家といわれるヴァザーリの『美術家列伝』
には、モナリザについてこう書かれている そうだ。(孫引きです)

「真珠色にあわく潤んだ目は、自然の輝きをたたえ、もっとも繊細で巧妙な技法によってはじめて描き得たものである。
まつ毛はまた繊細きわまりない感覚なくしては、とうてい描き得ないものである。
眉毛はあくまで自然で、毛が肌から生じて、片方が濃く、片方がいくらか薄く、毛根によってさまざまに変化している様子が描かれているため、これ以上に自然であることは不可能である。」


でも、一目見ればわかるように、モナリザは真珠色の目はしていないし、”まつ毛も眉毛も無い。”(笑)

ヴァザーリが書いている絵の説明は、あきらかに『別の絵』の説明だ。


このヴァザーリという美術史家はその権威があまりにも巨大なため、私達の目を曇らせているということがありそうだ。
そもそも、この『美術家列伝』は、そうとう間違っているらしい。
でも、美術史を勉強すると、あたかもそういう事実があったように教えられてしまうので、結局事実が歪められてしまうのではなかろうか?


歪められた事実を正すには、まず『一次情報』を知ることが何より大切である。


この場合、『一次情報』を知るとは、すなわち”絵を実際に見る”ことである。

ヴァザーリが書いている絵の説明は、あきらかに『別の絵』であることはわかった。
では、その絵は何の絵だったのだろうか?


ひとつ考えられることは、この説明が『チェチリア ガッレラーニの肖像』(別名”白貂を抱く貴婦人”)

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を見た時の記述なのではないか?ということだ。



先ほどのヴァザーリの記述を良く読んでみよう。


「真珠色にあわく潤んだ目は、自然の輝きをたたえ、もっとも繊細で巧妙な技法によってはじめて描き得たものである。
まつ毛はまた繊細きわまりない感覚なくしては、とうてい描き得ないものである。
眉毛はあくまで自然で、毛が肌から生じて、片方が濃く、片方がいくらか薄く、毛根によってさまざまに変化している様子が描かれているため、これ以上に自然であることは不可能である。」


まさにその通り。目に美しく素晴らしい傑作である。
この絵を素晴らしくないという人は余り多くないと思う。
しかし、モナリザは???という人が、実はすごく多いような気がしている。


僕が前から思っているのは、本当は『モナリザ』の評判というのは、誤って伝えられた誤解から生じていて、本当の評判は、こちらの『チェチリアガッレラーニの肖像』だったのではないか?ということなのだ。
そうすると、様々なことが納得できるような気がする。



が、しかし、『モナリザへの旅』で、複数のモナリザが制作されている可能性について知ると、別のモナリザこそが最高傑作と呼ばれていた可能性も、またあるかもしれないと思うようになった。

『モナリザへの旅』によると、真作が疑われている極めつけの3点は、
ニース版の『モナリザ』
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ヴァーナン版の『モナリザ』
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アイルワース版の『モナリザ』
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であるらしい。

これらの『モナリザ』の所有者達は、それぞれが、自分の『モナリザ』こそがレオナルドの真筆だと主張しているそうだ。


実際に、それがレオナルドの真筆なのか?あるいは違うのか?は、はっきりしていないのだが、少なくても、レオナルドと同時代に描かれたことは確かで、それが弟子、あるいは周辺にいた画家によって描かれた模写なのか?それとも、レオナルドが同時並行的に書き進めていたものかも明らかになっていない。


模写だとしても、前にも述べたように、レオナルドが『モナリザ』を複数描いている可能性については否定できない。
ラファエロによる『モナリザ』の模写も、いわゆる『モナリザ』には全然似ていない。
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そして、あのラファエロが、そんなに下手なわけはないことは、誰でも分ることだ。

やはり、レオナルドは、『モナリザ』を複数描いている。
ただ、それが現存するかどうか?は不明だ。




で、僕は直接この絵を見たことが無いので、断定は出来ないのだが、一般的には、本物の『モナリザ』よりも、これらの真作が疑われている『モナリザ』の方が美しいという人が多いとのことである。


とはいえ、もしも、これらの絵が、レオナルドの真筆、つまり、もう一つの『モナリザ』だったとしても、図版で見る限り、本物の『モナリザ』よりは美しいかもしれないが、例えば前述した『チェチリア ガッレラーニの肖像』より美しいか?といえば、NOと答えざるを得ないだろう。


話としては面白いが、この絵を”世紀の傑作”と呼ぶには、あまりにふつうなのである。
あまりにふつうな絵が最高傑作と呼ばれることは、どう考えても無理がある。
それならば、ルーブルの『モナリザ』の方が、まだ分る。
この絵は、最高傑作かどうか?はともかくとして、たしかに何かがひっかかるのだ。

では、『モナリザ』とは、本当な何なのだろうか??


つづく




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モナリザを巡る冒険 その2 『聖アンナと聖母子』のカルトン
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by guild-01 | 2013-12-27 19:34 | ART